1914(大正3)年3月26日に初日を迎えた芸術座の公演「復活」(トルストイ作、島村抱月訳、帝国劇場)で、主演の松井須磨子が劇中で2度歌った「カチューシャの唄」は、日本で初めてのポップスのヒット曲となった。伝統的な邦楽ではなく、唱歌でも童謡でもない。流行歌=ポップ・ミュージックの誕生である。文学者・島村抱月はどのようにヒット曲を生んだのだろう。今から100年前のイノベーションの物語。

「復活」の成功で全国巡演へ

 1700席の大ホール、東京・日比谷の帝国劇場で大入りの人気を集めたとはいえ、たった6日間の公演では利益が出ない。これだけでは赤字である。したがって各地の興行会社(興行師)に興行権を売って巡業へ出ることになる。これは芸術座に限らず、東京の劇団の通常のやり方だったと思われる。

 帝国劇場は毎月3週ほどを主催して歌舞伎、オペラ、女優劇、喜劇、コンサートなどを催す。残りの1週間を芸術座や自由劇場といった有力な劇団に貸していた。もちろん帝劇のプロデューサーが吟味して劇団と作品を選択していた。芸術座は帝劇における好評をもって全国で集客し、利益を得るようにスケジュールを組んでいた。

島村抱月

「復活」は帝劇公演(1914年3月)が非常に好評で、松井須磨子の劇中歌「カチューシャの唄」が島村抱月のねらいどおりに須磨子の魅力を引き出し、口コミで大評判となった。翌4月16日から21日までの6日間は大阪・道頓堀の浪花座で公演、24日から28日は京都の南座へまわり、中国・九州を巡業し、東京へもどると8月18日から22日まで5日間、東京大正博覧会の演芸場(上野)で格安の公演を大衆向けに行なった(川村花菱『松井須磨子』新版、青蛙房、2006)。

 芸術座は「復活」以後、次々に新しい作品を上演していくが、「復活」はいちばん当たった作品である。1918年までの5年弱のあいだに、なんと444回も全国(満州、韓国、台湾を含む)で公演しているので、須磨子は舞台の本番だけで888回歌ったことになる。現代のミュージカル女優並みだ。

松井須磨子(国会図書館)

 抱月が演劇で初めて劇中歌を挿入したわけではない。先行する事例はいくつもあったようだ。そもそも、アンリ・バタイユがトルストイの原作を脚色した元の「レサレクション(復活)」には、カチューシャの劇中歌が入っていたそうで、抱月は留学中のロンドンで1904年3月14日に見ている(岩佐壮四郎『抱月のベル・エポック』大修館書店、1998)。抱月は10年後、さらに脚色して上演したわけだ。

 また、日本の伝統的な舞台芸は、歌舞伎、浄瑠璃、能楽をはじめ、歌や踊りを挿入するほうが普通で、口語によるセリフだけの演劇(正劇)は近代西洋風の様式である。正劇の導入を熱心に行なっていたのが欧米から帰国後の川上音次郎や小山内薫であり、坪内逍遥や島村抱月も近代正劇の確立を目指していた。