ノートに集めるから素材になる

 知的生産にノートが活かせるのは、先ほどのような「ノートからの思いつき」だけではありません。あいまいになってしまった記憶を振り返ることで、考える足がかりにできることも利点の一つです。

 よく新聞や本を読む人はわかると思いますが、「○○みたいな話を何かで読んだけれど、思い出せない」ということはよくあります。たとえば、文章を書いていて、財政の話になったとき、「確かハイエクが福祉国家の行く末について何か言ってるのを最近読んだなあ。アレを紹介できたらちょうどいいんだけれど……」と思い出したとしましょう。

 せっかくアイデアが浮かんでも、本で読んだのか、雑誌や新聞で読んだのか、出典がわからないと使うことはできません。ネット検索でも、そう都合よくは出てこない。

 そんなときでも、「ノート1冊方式」なら、過去数週間のページをパラパラとさかのぼって見ていくことで、ほぼ確実に該当する読書メモや記事を見つけ出すことができます。「アレを参照したい」というほど印象に残っている情報は、たいていピンときてその場でノートに収録した情報だから、ノートの中にあるわけです。

 このように記憶とノートとがうまく連携できるのは、おそらくメモしたり切り抜いて貼ったり、線を引いたりする作業を通して、「じっくり読み込んだから」でしょう。

 ノートに記録した段階で記憶に刻まれているから、原稿を書いているときに「アレが使えるのでは……」と思い出すことができるのです。つまり、ノートにあるから「アレを参照したい」と思うのであって、ノートにないものは、そう思うことすらほぼないわけです。

 これが、参照したいものが、ほぼ100%ノートから見つけ出せる理由です。デジタルツールでは、こううまくはいきません。情報をストックするとき、書いたり貼ったりという手間がかからないので、印象も薄くなってしまうからです。結果、「何かで読んだ」「どこかで見た気がする」と思い出したり、引っかかりを感じたりすることも少なくなってしまいます。

 ちょっとややこしいかもしれませんが、こういうことです。「知的生産の素材をノートに集める」のではなく、「ノートに(ピンときた情報を)集めると知的生産の素材になる」と。

 このような仕組みになっているから、「1冊ノート方式」でノートを使えば、何かの仕事をしているとき、

・考えを進めるための足がかりになる
・新たな視点、切り口が生まれる
・アイデアや発想を思いつく
・思いついたことを成果物に活かす

 といった効果が得られるのです。アイデアが出ない、発想がワンパターンだと感じている人は、ぜひ「ノート1冊方式」を試してみてください。