佐々木 一方で、日本酒に限らず、お客様側の酒の飲み方は変わってきているのではないでしょうか。戦後、半世紀にわたって続いてきた企業社会は終わりを告げ、余暇をともに過ごしたり、食事や酒を楽しむ相手は、会社の上司や同僚でなく、仲のよい友人や恋人、家族になってきました。
酒で言えば、少し前までは、上司に注がれた酒を、庄屋から振る舞われた農民みたいなマインドで飲んでいたり(笑)、同僚同士で愚痴を言い合って飲むだけだから、たいして美味しくなくてもよかった。いわゆる「酒と泪と男と女」(河島英五作詞・曲、1975年)みたいな憂さ晴らしの酒でした。でも、今は親しい人と関係性を確認したり、ひとりで味わって自分のライフスタイルを実感するなかで楽しむように変わりつつある。そんな変化に、日本酒業界がついていけていないのかな、という気もします。
みんなちがって、みんないい…?
でも、酒蔵にも健全な成長は必要
佐々木 具体的な飲み方でいえば、マスの中のグラスへの注ぎこぼし反対!という指摘もおっしゃる通りだと納得しました。確かに、背を丸めて口を付ける姿はいじましい(笑)。ワイングラスで飲むというのは新鮮でしたけど。
桜井 ワイングラスで酒を飲むことに抵抗がないわけではありません。でも、機能的に優れているから仕方ない。日本の器だと、作家さんは芸術性をまず追いかけます。機能の話になると、いきなり「洗っても壊れないのがいい」と極端に振れたりして(笑)、なかなか適当なものが見つからない、というのが実情です。
ただし、パリの新店では、「二割三分」「その先へ」の最高級品は、杯で出したいと思っています。一般的な杯より持ちやすく、少し大きめで香りが立ちやすいものを、有田焼の十四代今泉今右衛門さんにお願いして作っているところです。
佐々木 持ちやすい杯っていいアイデアですね。個人的に、おちょこで飲むのが不満なのは、飲んだ量がわかりにくいところです。
桜井 おちょこの形状も恐らく、昔の酒の飲み方に由来しています。きっと、隣に芸者さんがいて、注いでもらって飲んだわけですよね。何度も注いでもらったほうがいいでしょう(笑)。
佐々木 それも、先ほどの注ぎこぼしじゃないですが、男のいじましさが感じられる下らない話ですよね(笑)。
桜井 日本では実にあらゆる面で、曖昧模糊として、突き詰めると合理性がないことも多いです。でも、<獺祭>を海外で楽しんで頂くため、あらゆる点について自信を持って説明しなければならない。その作業こそが、海外に行って異文化とぶつかる大きな意義です。
佐々木 日本は、ハイ・コンテキストな(習慣や経験、文化的背景などに共通項が多く、言語以外のコミュニケーションへの信頼度が高い)文化なので、海外に出て説明するというハードルが、自分自身への問いかけになるわけですね。
そうして、ひとつずつ意味を確認しながら、必要ならば変化も厭わない。著書にも「変化そのものが日本の伝統」と書かれていましたが、これこそ日本文化の神髄だ!と感銘を受けました。“改良を重ねて常に変化していく日本”というイメージはすごくいいですよね。最近、この点が忘れられている気がします。日本回帰が叫ばれるほど、伝統を固定しようとする力学がはたらくのはおかしい。