小泉純一郎元首相は、首相在任中の2004年2月の国会で、政府による憲法の解釈変更について次のように述べている。
「解釈変更の手段が便宜的意図的に行われるならば、…(中略)…政府の憲法解釈、ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれることが懸念される。…(中略)…憲法について見解が対立する問題があれば、…(中略)…正面から憲法改正の議論をすることにより解決を図ろうとするのが筋だろう」
小泉氏が言うような「憲法規範そのものに対する国民の信頼」は国家統治の要となるもの。それを理解していれば、今回のような便宜的意図的な「解釈改憲」は論外である。
小泉氏は、自衛隊を憲法上も“自衛軍”として認知すべきだと主張してきた。それは私も同じ考えである。ただ、それに限定した憲法改正でないと、さまざまな条文が便乗して書き換えられる恐れがある。いわゆる自民党の改正草案はその典型だ。
護憲派と言われた宮沢喜一元首相もその点ではおおむね同意見であった。私にこう言ったこともある。
「占領から独立した頃の時期に、自衛隊の問題はきちんと片付けておけばよかったかもしれない」
戦後の憲法史の過程で唯一、最大の解釈改憲は「自衛隊合憲」と言ってもよい。他にもさまざまな憲法論争はあったが、解釈改憲と言われてもなかなか納得できないのはこの問題だけだ。
しかし、これは当時の内外の厳しい政治情勢から考えて止むを得ないものであり、唯一の例外とすべきこと。だからこれを先例として解釈改憲を重ねることは許されない。むしろ、自衛隊合憲の解釈改憲を反省して二度と政府による恣意的な憲法解釈の変更を強行しないことが先進的な法治国家として採るべき道だろう。