「酒は涙か溜息か」の作曲について、自伝ではこう書いている。1931年夏のことである。満州事変(9月)前夜、昭和恐慌の真っただ中だった。

 「私は高橋(掬太郎)さんの歌詞に大都市と地方の格差をはっきりと感じた。大都市の繁華街をモボとモガが腕を組んで闊歩し、ジャズ音楽に身も心も奪われているとするならば、地方の青年たちは、場末の暗い酒場で酒をあおって、沈吟していたに違いなかった。どちらも同じムードの表現ではあっても、これだけ大きい差がある。ジャズと都々逸。それは音楽的に図式的に表現すれば一オクターブ七音と、五音の東洋的短音階との差であった。この落差を埋めなければ、この時代の世相を反映し、すべての人々に共感を得る曲はできないと私は思った」(古賀政男『自伝わが心の歌』新装増補、展望社、2001)。

 詞の調子は七五調の「都々逸」風で、即興のような三味線でならすぐに書ける。しかし、それではジャズ(ポップス)に浸る大都会のモボ(モダンボーイ)やモガ(モダンガール)は共感しないだろう、というわけだ(「都々逸」は江戸時代後期の俗曲、座敷芸)。

「そんなある日、ギターの性能を活かすことによって、解決の端緒が得られるのではないか、というアイデアが私にひらめいた。それから、毎日ギターで三味線の曲を弾いてみたり、古い民謡や義太夫というようなものまで弾いたりしてみた。そして、突然あのメロディーが浮かんできたのだった」(古賀政男、前掲書、2001)。

「酒は涙か溜息か」はニ短調(Dm)で、基本的にヨナ抜き短音階で書かれているが、サビの冒頭は第4音のG(ソ)で始まり、日本の民謡の音階を感じさせる。日本音楽を西洋のギターで繋いだ意図がわかる。

 ちなみに「影を慕いて」はニ短調の完全なヨナ抜き短音階で、中山晋平のように和洋折衷の感覚を出している。唱歌や童謡に近い。

「酒は涙か溜息か」は第4音を入れて民謡音階の感覚を混ぜ、義太夫や都々逸のような伝統的な邦楽のようでいて、しかし楽譜には西洋音階以外の音程は使わない。譜割りも厳密に書かれ、小節線を無視するようなアドリブは許さない、という意思が見える。こうすることによって大都会で洋楽を聴く若者にも共感されたい、ということだろう。

 藍川由美さんによると、中後期の演歌の原型的作品になっても、コブシや日本的な節回しでさえすべて楽譜に書いているというから、楽譜を見れば作曲者の意図はすべて理解できるわけだ。発想はクラシックの作曲家と同じである。

 古賀がコロムビアに入社した1931年、この年4作目の「丘を越えて」ではまったく曲想が変わる。これは次回に。この年に発売した4曲は、合計200万枚を超える売上だったという。コロムビアは月給以外に、1枚1銭の印税を支払うことにした。あっという間にヒット・メイカーとして流行歌を牽引する作曲家となった。