経営学は未熟な学問である、と誤解される理由

 この難しさが十分に理解されていないことは、経営学に対する誤った見方につながっている、と私は感じています。

 経営学の諸理論の大半は、自然科学の理論体系のように、絶対的な答えを提示できるものではありません。

 しかしそれは、経営学が未熟であるからではないのです。対象の高い複雑性、そして経営学の二面性がその理由かと思います。

 経営学者は、永遠に持論をぶつけ合い、対立しているように見えることがあります。しかし、それも多くの場合は、不毛な議論ではなく、構築主義的立ち位置に基づき、個々人の認識をぶつけ合うことで、共通理解(構築主義に基づけば本質的な答え)を作り出しているのかもしれません。

 さらには、自然科学の場合は、私たちの生活を大きく変える、わかりやすい、革新的な発見というものが存在します。たとえば、新しい素材であったり、新しい薬品であったり、新しい装置といったものです。

 ところが、経営学の世界には、そういうものはなかなかありません。それは、経営学の研究成果が、多くの場合はすでに存在する事実の探究であり、また、どの1つの発見も絶対的であると言うのは難しいからです。

 もちろん、生産管理や、会計経理や、市場調査法など、足腰になるような根源的な知識は存在します。それを学ぶことで、多くの組織や個人が最終的な成果に至るための基礎的な要件を備えることができるでしょう。

 しかし難しいのは、最終的な成果の多くは、その先に存在する偶発的な、または経路依存性を持つ要素によって定められていくという事実なのです。