シュンペーターの理論から
影響を受けたドラッカー

 同年齢のJ.M.ケインズ(1883-1946)とともに、世界で最も有名だったこの大経済学者の「イノベーション論」は、没後にP.F.ドラッカー(1909-2005)ら、経営学者によって継承されたと思えます。

 ドラッカーはシュンペーターと26歳も離れていますが、同じようにハプスブルク帝国の首都ウィーンで育ちました。ドラッカーは帝国政府の高級官僚の家庭に生まれ、ドイツの大学を経て米国へ移住した「知識人移民」の1人です。父親はシュンペーターと面識があったといいます。

 シュンペーターがアメリカに移住したのは1932年、49歳でした。ドラッカーが英国を経てアメリカに移住したのはその5年後、1937年で、28歳の年です。

 ドラッカーは本書『イノベーションと企業家精神』の第1章で、経済学史の中にシュンペーターを位置付けながらこう書き出しています。

 彼(シュンペーター)はその古典的名著『経済発展の理論』(一九一二年)において、二〇年後のジョン・メイナード・ケインズよりも徹底して、それまでの伝統的な経済学とたもとを分かった。彼は、最適配分や均衡よりも、企業家によるイノベーションがもたらす動的な不均衡こそ経済の正常な姿であり、経済理論と経済行動の中心に位置づけるべき現実であるとした。(4ページ)

「伝統的な経済学」とは、「限界革命」(1871)によって発達した新古典派経済学の一般均衡論やマルクス経済学のことです。いずれも企業家をモデルに組み込むことはできなかった、というわけです。