しかしペッパーは、イタリア移民の母方の家系に由来する音楽的素養を受け継いだのです。

 8歳でクラリネットを習い始め、12歳でアルトサックスを吹き始めると瞬く間に上達。17歳でオーディションに合格し、プロとしての活動が始まりました。

 そして1943年、18歳でスタン・ケントン楽団に入団します。この楽団は創設2年の新興勢力ながら、大手のキャピトル・レコードと契約し“ダンスのための音楽”から“聴かせる音楽”を志向する進歩的な楽団でした。

 ペッパーは、入団から数週間で早くもソロを任されます。「ゾーズ・ケントン・デイズ」(写真)には、ハリウッド録音の“ハーレム・フォーク・ダンス”を溌剌(はつらつ)として締めくくる18歳のアート・ペッパーの即興が克明に刻まれています。

 しかし、当時は第二次世界大戦の真っ只中。

 ペッパーは1944年に徴兵され、ロンドンに配属されました。46年に除隊して直ぐロサンゼルスに戻ると、再びスタン・ケントン楽団に迎えられました。すでに西海岸の人気楽団になっていたケントン楽団の花形アルト奏者として、ペッパーは黄金期を謳歌します。

 ペッパーの実力はジャズ関係者の間で高まり、ショーティー・ロジャーズ&ヒズ・ジャイアンツなどを経て、26歳にして公式初のリーダー作をロサンゼルスのスタジオで録音しました。最初の録音は52年3月、第2回目が52年10月。あと1回の録音セッションで完成です。悲しい幼年期や戦争があったにせよ、音楽的才能が開花するのです。順風満帆とはこのことだ、と見えた瞬間、大きな落とし穴があったのです。

 麻薬です。

 依存症になり、療養施設に強制収容されますが、施設を出た後も麻薬常用のために逮捕されてしまいます。53年のことです。ペッパーの才能を惜しんで音楽関係者が支援し、仮出所すると早速スタジオ録音が行われました。54年8月25日のことです。支えてくれた人々の期待に応えるべく、ペッパー一世一代の熱演です。

 そうして足掛け2年を費やして完成したアート・ペッパーの公式初リーダー作が「サーフ・ライド」(写真)です。全12曲のうちペッパー作曲のオリジナルは10曲。ジャケットのイラストが示すような爽快な演奏です。麻薬で逮捕という暗い陰は微塵も感じさせません。さすが、天才ペッパーです。しかし……。