MKSパートナーズは、日本のファンドビジネスの草分け的存在である。松木伸男代表取締役は、ベンチャーキャピタルからスタートして日本でのファンドビジネスの世界で地歩を築き、日本企業の強みを生かした企業再生でも実績を上げ続けている。日本のファンドビジネスの変遷とその特徴についてお話を伺った。今回はその【後編】です。【前編】はこちら
今の日本の状況は
25年前のアメリカに酷似
松木伸男氏(MKSパートナーズ代表取締役)トヨタ自動車販売、外資系ベンチャー・キャピタル代表取締役を経て、2002年MKSパートナーズ設立、代表取締役社長就任。バイアウト投資における日本の業界でのパイオニア的存在として、これまでに数件の大型案件を手がけており、その実績は国内外の有数の機関投資家からも高く評価されている。 |
――そもそもファンドを設立した経緯を聞かせてください。
1982年のトヨタ自動車勤務時代に、担当していたシンガポール市場でトヨタのシェアを飛躍的に伸ばし自分に自信をつけていた頃、取引先から高給での転職の誘いを受けた。その話には乗らなかったが、これをきっかけとして登録したヘッドハンター事務所からベンチャーキャピタル(VC)の職を紹介された。VCについての知識を得るためにシリコンバレーに視察に行きこれは面白いと思った。ただ、日本には魅力的なVCが存在しなかったので、最終的には自分で作ることにした。
その後、90年代半ばに欧州で活発だったバイアウトを日本でやってみようということでバイアウトファンドを立ち上げた。
――ファンドを立ち上げてからの25年間で、日本企業や日本企業を取り巻く経営環境はどう変わりましたか?
25年前のアメリカの状況と今の日本の状況は似ていると思う。当時、アメリカでは日本から「1ドルブラウス」がどんどん輸入されてきて、「アメリカの製造業はなくなってしまう!」と大騒ぎしていた。しかし、そんなことは起こらなかった。付加価値をつくっている会社はちゃんと残っている。世の中変わっているにもかかわらず、対応できない企業、産業だけが駆逐されていく。日本の金融機関はその代表例だ。
現在の日本と中国の関係はこれに非常に似ている。ただ、情報量、スピード、モノ、人の動きが全然違う。しかも、東京-上海は、ニューヨーク-ロスアンジェルスよりも近い。したがって、日本企業の経営者は、上海は国内市場ぐらいに考えて対応していかないといけないだろう。