佐藤さんやスタッフが今回、大川小の卒業生たちによる意見表明会を開催しようと思ったのは、こうした「子どもたちが意見を聞いてもらいにくい」現状に対して、ひとつの改善方法を提示するためだった。

「校舎の保存のように、“子どもにも言わせて”ということがあった場合、それをどうやって受け止めるかは、大人や社会が試されていると思うのです。大川の子どもたちは、大川小で起きた事も含めて、自分自身の将来に向き合っていくことが必要です。彼らなりに大人になっていくために、自分たちで模索していくための場を用意したかった」(佐藤さん)

喪失感、大人やマスコミへの不信感…
心に大きなダメージを負った大川の子どもたち

 同チームが大川地区で学習支援を始めたのは、発災から間もない2011年夏。大川小に通っていた兄弟を亡くした中学3年生の子が「そろそろ本気で受験勉強をしなければならない時期なのに、(震災の影響で)クラスがとても高校受験という雰囲気ではなくて……」と、もらした言葉がきっかけだった。

 実際に学習支援を始めてみると、子どもたちは様々な「SOSのサイン」を出していた。喪失感や様々な不信感が積み重なり、大人という存在そのものに対して最初から拒絶を示した子もいたという。

「学習会の場所に来ても、一切しゃべらない。ノートを書くエネルギーもない。その場で寝てしまう。何かをすることを最初から放棄していたり、周りを見てばかりで、自分で物事を判断できない子もいました。今年の受験生は、特に心のダメージが強く出ていました」(スタッフ)

 大川小では当時、卒業式は(発災から1ヵ月半後の)4月24日に行われた。6年生は21人いたうち、15人が死亡、1人がいまも行方不明のままだ。遺族への配慮からか、無事だった6年生と亡くなった児童の式は別々に行われたが、6年生のなかには、亡くなった友だちと一緒の卒業式をしたかった子もいた。

 その後進学した中学校は間借りの校舎で、「人数が少ないから」と、職員室との交換で小さな教室に変更されるという出来事もあった。さらに、中学2年時には突然、学校が閉校してしまった。「合併先の中学校でも、様々な場面で辛い思いをしていたようだ」とスタッフは話す。

「ケアの状況を確かめてみると、学校でカウンセリングも受けていないということでした。子どもたちは、辛い気持ちをなかなか周囲に受け止めてもらえず、先生たちや教育委員会に対する不信感を抱えていました」(スタッフ)

 また、取材を受けたものの、自分の気持ちと違う内容が報道されたことで、マスコミに対して嫌な思いを持ったままの子もいた。