ヨーロッパから帰国した安倍晋三首相は、①拉致問題の進展、②G7での一定の成果、③6.7%成長(1~3月)、そして④野党の動向に自信を深めたのだろう。一段と行け行けドンドンの姿勢を強め、集団的自衛権行使の閣議決定を国会会期内(6月20日)にも強行する意向を明確にした。
既に自民党内の慎重派は雲散霧消した感があるが、肝心の野党はどうなったのか。
重要課題そっちのけで政界再編に夢中になっているように見えるのは私だけではあるまい。これだけの重要課題を二の次にしていては、政界再編そのものの目的が単なる生き残り策と誤解されかねない。
高杉晋作が行った
倒幕までの巧みな戦略
奇妙なことだが、私は政界再編というと必ず幕末の高杉晋作のあの長い顔を思い浮かべてしまう。
元治元年10月末、高杉晋作は佐幕派に傾く長州藩政府に追われ九州に逃げた。長州藩内ではこの時点で、藩政府を打倒しようと考えていたのは彼1人になっていたと言ってもよい。
九州に着いた彼は、直ちに幕府に対抗する「四藩連合」の画策に参加するが、腰が引けた三藩(福岡、佐賀、対馬)に見切りをつけ、長州一藩による行動に突き進むことを固く決意した。
長州同様佐幕派が勢いを強めていた三藩と連携しても気休めの“弱者連合”でしかないと判断したのである。
まず長州が単独で立ち上がって成果を挙げれば、他藩の倒幕派は必ず後に続く。彼は、勢いのあるものには同調者が現れるという政治法則を熟知していたのであろう。
2週間ほど福岡の平尾山荘に籠った晋作は、単身長州に帰り、12月15日わずか八十余名で功山寺で挙兵。見事に倒幕、維新の突破口を開いた。