医師、歯科医師という自然科学系の人生リセット資格を前回まで採り上げて来たが、今回は社会科学系の最難関資格、『司法試験』について考えてみよう。

 まず最初に言っておくべきことは、司法試験は未だに完全な「人生リセット」の要素を満たしているということだ。最近の報道を読んでいると、現在も進行中の司法試験改革に対してネガティブな論調が多いのに驚く。なかでも「弁護士過剰時代」と「合格者の質の低下」といった面が強調されている。こんな報道に、惑わされてはいけない。 

 あたかも正論を述べているように見えながら、それが実は既得権益者サイドからのブラフであり、中傷に近いものであるといってもいい。法曹資格者、特に弁護士を大幅に増やすことを目玉にしている現在の司法改革で、困る人間は既存の弁護士の中にいる。端的に言えば、いままで「弁護士資格」の上にあぐらをかいてきた、必ずしも能力の高くないロイヤー達が脅かされているのである。

弁護士不足は先進国で最悪レベル

 いちおう傍証を上げておけば、医師資格にも同様の例があった。1970年代以降、日本の医師養成機関、つまり大学医学部は、一貫して入学定員「減」のダウントレンドを描いた。当時の医師会の「医師過剰時代の到来」という言葉に、厚生省(当時)も文部省(当時)も乗っかってしまったのである。その結果が現在の医師の偏在である。救急車の妊婦がたらい回しされるほどの産科医不足、小児科医不足。地方での医師不足はむしろ加速している。既得権益者の言葉は、ゆめゆめ信じてはならない。

 司法試験にまつわる状況も同じようなものだ。弁護士は都市に集中し、地方には極めて少ない。先進国中最悪のロイヤー不足は、いまさら指摘するまでもない。皮肉な言い方をすれば、だからこそ、弁護士の座は安泰なのである。資格さえあれば、将来は保証されている。

 では、今後の弁護士の供給事情が、その構図を崩すことになるか。そんなことはないだろう。新規参入する司法試験合格者と、現在の資格者のローエンドでの葛藤はあるだろうが、いずれは住み分けが行なわれ、結果として弁護士の活躍の場を拡げることになるに違いない。