前回に引き続き、教員免許を人生リセットのための資格として取り上げる。

 まず、ちょっとお詫びをしておかなければならない。前編で「校長の給与は事務次官を上回る」と書いたことに対し、そんなことはない、とのご指摘を幾つか頂いている。言葉足らずを恥じつつ、まず、この件に関しての誤解を説いておこう。

 正確には、「事務次官の事務次官在職時の年額給与は、校長職の年額給与を上回るが、事務次官在職中の給与総額と校長在職中の給与は総額において校長のほうが上回ることが珍しくなく、生涯年収の総和において両者は拮抗する関係にあり、年金受取額は校長の方が上であることが珍しくない」ということである。

 なんだか官僚の作文のようになってしまったが、こういうことだ。

 事務次官の給与は2000万を超えるので、ざっくり1300万円台以上からの校長職よりも上回っている。しかし、事務次官としての在職年数と高給は瞬間風速的なものであり、定年前に退職してポストを回すのが暗黙の霞ヶ関ルールである。

 一方で、校長が定年前に退職するということは考えにくい。各省庁に一つのポストと違い、校長は学校の数だけある。つまり、短い期間超高給を得る事務次官と、安定した高給を長期間維持する校長という対比である。

 結果として、同じ共済年金でありながら、退職した事務次官の年金よりも、校長の年金が多いことは珍しい現象ではない。この件に関しては平成17年10月21日に文部科学省がコメントを出してもおり、事実を追認する格好になっている。

「いまさらジャージ穿けるか」
向けの新ルート

 さて、回り道してしまったが、その待遇に向けての戦略を考えていこう。

 これから教育の現場にキャリアチェンジを行なおうとする人間にとって、一番ネックになるのは「今さら教師をやれるか」という問題だろう。採用の問題ではなく、プライドの問題に近い。言い換えれば、「いまさらジャージ穿けるか」に近いだろうか。即ち、ビジネスの現場でキャリアを積んだ人間にとって、高校までの教育現場は実に野暮ったく見えるはずである。
 出来ることなら、ビジネスキャリアを活かして、ただちに管理職へ。それが、正しいリセットの姿勢だと思う。

 いま公教育の現場では「校長の公募」のような試みが始められてはいる。ただしそれはまだレアケースであり、採用されたのは誰もが納得するようなエリート人材である。その門は恐ろしく、狭い。

 ところが、ひとつのルートが誕生した。「教職大学院」である。