USJの年間集客数は、開業した2001年度の約1100万人をピークに減少、横ばいを続け、2009~2010年度は700万人台に落ち込んでいたが、その後V字回復を果たす。11年度は約880万人、12年度は約975万人とハイペースで来場者数を上乗せし、13年度は開業年度以来となる1000万人越えを達成した(2012年秋には開業以来の累計で1億人を突破)。それに伴い売上高は、集客数が800万人台を切る直前の08年度と比べ、2割近く増えた。
メディアは「USJが奇跡的なV字回復」と取り上げた。多くの集客を望める「ハリポタ」は、これまでの取り組みの集大成。リスクは想定内であり、今のUSJにとってはむしろ武者震いのするチャレンジなのかもしれない。
USJはなぜV字回復を果たしたのか?
命運を託された敏腕マーケターの存在

USJは、なぜこれほどまでに勢いを盛り返すことができたのか。
もともと株式会社ユー・エス・ジェイは、大阪市が出資する第三セクターとしてスタートした。2001年にハリウッド映画のテーマパークとしてUSJをグランドオープン。開業初年での来場者数1000万人越えは、世界中のどのテーマパークよりも速かった。
しかし、許可量を超す火薬を使用してボヤ騒ぎが起きたり、飲食店で賞味期限切れの食品が提供されていたことが発覚したりと不祥事が続いた影響で、開業翌年には客足が減少。寄り合い所帯的な雰囲気が強かった経営体質もあって、底力を発揮し切れずにいた。
復活は、2004年に米国のユニバーサル・スタジオから招聘されたグレン・ガンペル氏(現ユー・エス・ジェイ代表取締役社長 CEO)の手腕によってもたらされた。グレン氏は2005年にGS(ゴールドマン・サックス)から増資を受け、USJを三セクから脱皮させて民営化を実現。短期間で経営合理化を推し進め、2007年には株式上場に漕ぎ着ける(2009年、株価を気にせずに投資に専念するため、GSのTOBに応じて上場廃止)。
とはいえ、経営基盤強化の屋台骨はあくまでも離れてしまったお客を呼び戻すことにある。それを実現し、業績のV字回復を下支えしたグレン氏の片腕の存在は、あまり知られていない。その男こそ、グレン氏が2010年に6月に呼び寄せた敏腕マーケター・森岡毅氏(現ユー・エス・ジェイCMO(最高マーケティング責任者)、執行役員、本部長)である。
前述した斬新なイベントやアトラクションによる集客増は、森岡氏が着任後の約3年間でUSJのマーケティングを一新した結果、成し遂げられたものだ。「ハリポタ」のテーマパーク導入も、氏の虎の子のアイデアである。USJの経営再建の立役者がグレンCEOなら、森岡CMOはV字回復の立役者と言える。