たとえ息子でも、会社を継ぐのは「決算書」を見てから

田中 会社を継いだ当時のことについて、もう少し教えてください。望月さんは、売上の落ちている会社を継いで、まず何から始めましたか?

望月 私も「まさか」というタイミングで引き受けたので、「決算書を見せてください」とお願いして、会社の現状を正しく把握するところから始めました。そして、大変な状況に置かれた会社の社長を引き受けるからには、私もちゃんと腹を括るから、親父もちゃんと腹を括ってくれ、という覚悟と決断を求めました。

田中 私が見てきた事業承継でうまく行ったケースはほとんどがそのパターンですね。お父さんが会長や相談役で残って毎日会社へ来る。社長は息子になったというのに、いつまでもお父さんが社内で幅を利かせる。こういう会社はほぼ失敗します。

望月 先代が会社に残って「俺から帝王学を学びなさい」といったことが私はそもそも大嫌いなんですよ。帝王学を学ぶんだったら「俺はいらないでしょ」となります。そして、私は、父にあと2つの社長を引き受けるための条件を付けました。ひとつは、私は東京に住みながら、週の半分は本社で経営を見て、週の半分は東京営業所で営業をします、と。もうひとつは、ラッキー商会という社名は変えます、というものです。

田中 お父様は、どういう反応だったんですか?

望月 「わかった。すぐにお前を社長にさせる」と父は言いました。あとは、財務内容を全部見たとき「こういうふうにやれば行けるな」と、自分なりに自信がありましたので、社長を引き受けると決めました。私は、28歳までやってきたことが無駄にならない人生の選択をしたかったんです。だから、ジュエリー業界に初めて入ったからといって、新人扱いされるんだったら、親の会社であろうと引継ぐ気持ちはありませんでした。

田中 望月さんにそれだけの強い気持ちがあるとわかったから、お父様も任せたのでしょうね。

望月 最初は企画室室長として入社して、3ヵ月後の4月1日に社長に就任しました。いま、父に対して「さすがだな」と思っているのは、あのタイミングはとてもよかったということです。なぜなら、ジュエリー業界を取り巻く環境が大きく変わり、古い取引先が急に倒産したり、事業を廃止して会社を清算したり、といった動きがありました。社長交代は、非常にいいタイミングでした。

田中 お父様は、4月1日から出社しなくなったんですか?