不良資産をすべて処分し、大赤字を出して財務内容を正常化
望月 代表取締役というポジションと判子を渡して行きました。決算期末に会社へ来たりはしていますよ。父は父なりにアドバイスをしたいようです。だけど、当時28歳と64歳の人が会話をしても通じないから、「親父が経営をやりたいんだったら、やりたい事業ごと持って行ってくれ」と言いました。
田中 誰が責任を負うのか、明確にしてほしいと伝えたわけですね。ところで、望月さんが継いだあと、お父様はしばらく相談役や会長といった形で会社には残られたんですか。
望月 取締役会長で残りましたね。
田中 会長に何か権限は残したんですか?
望月 代表権も判子も私が持っていました。そうは言っても、父も自分の存在を主張したくなるわけです。だから、「工場が気になるんだったら、工場を(カンパニー長になって)見てください」と言いました。でも、やりませんよ。口を出したいだけですから(笑)。
田中 逆に言うと、望月さんが何も言わせなかった、現場には口出しさせなかった、ということですよね。
望月 当時、取引先のトップ10に入っていた会社が軒並み倒産したり、廃業したり、で残っていないんですね。本当に会社が変わらないといけなかったんです。父もそういうことは理解していたと思います。そこで、いかに提案力や企画力、商品開発力といった付加価値で勝負するか、それが問われている業界です。父はその点を十分理解していたので、結果的に私を尊重してくれました。
田中 社長を引継いだときに不良資産をいっぺんに処理して、銀行からの借入も全部返してしまったと聞いています。
望月 徹底的にキャッシュフローを絞った結果ですね。なぜ無借金になったかについて補足すると、当時抱えていた遊休土地などの不良資産をすべて処分し、大きな赤字を出して財務内容を正常にしました。その後、利益を出したら現金がたまっていったんです。
田中 税務上の繰越欠損金がたくさんあるから、利益を出してもしばらくは税金を払わずに済んだということですね。
望月 そうです。不良在庫と遊休土地を抱えていたので、私が土地をキレイさっぱり全部売却して、売れない在庫も処分しました。
田中 先代がいつまでも影響力を行使している会社だと、部下の人たちが先代と息子のどちらを向いていいかわからなくなって社内組織が混乱するから、代替わりでは1日にして社長が替わるのがいいんです。とはいえ、望月さんのようにドラスティックに変えることは難しいし、それをやり遂げるのは立派だと思うんですね。バッサリとバランスシートの膿を全部出して健全化するというのも理屈では正しいとわかっていてもなかなかできませんよ。
望月 父は頭では正しいと理解はしていても、県内や業界内のイメージもあるし、できなかったのだと思います。父もそれがわかっていたからこそ、私に継いでくれと言ったのでしょう。
田中 私は、望月さんがオーナー企業の理想の経営者だと思っています。
望月 いやいやいや、そんなわけありませんよ。私の口癖でもあるんですが(笑)、会社が良い状態なのは「いまは」と社内でよく言っているんです。
5年後、10年後に向けて日々精進することだけです。