「今この瞬間を生きる」ことの
本当の意味
神保 アドラー心理学の「幸せに生きるためのヒント」の3つめは、「今この瞬間を生きる」となるわけですが、これも解説をお願いできますか。
岸見 人は過去のことを考えて後悔し、未来のことを考えて不安になります。けれど実はどちらもなくて、人は今ここにしか生きられないのです。
神保 実際には、その瞬間瞬間しかないと。
岸見 そうです。
宮台 関連しますが、以前、京都大学霊長類研究所の松沢哲郎教授に興味深い話を伺いました。500万年前に分かれたチンパンジーと人間の基本的違いについてです。チンパンジーは今そこにあるものを認識・記憶する能力は人間よりはるかに優れています。人間は代わりにそこに存在しないものについてまで認識する能力に優れています。
たとえば、嫉妬。チンパンジーは目の前で行為が行われると嫉妬しますが、見えない場所での行為や過去になされた行為については一切問わない。人間は逆で、見えない場所でなされた過去の裏切りを、永久にぐじぐじと問い続けるわけです。これは「もし、あのとき、お前がああ振る舞いさえしなければ、俺は……」という反実仮想です。
神保 松沢氏の話では、チンパンジーは寝たきり状態になった場合も、むしろ飼育員が優しくなるので陽気に振る舞うということでしたね。しかし人間は、寝たきりにならなければ自分はもっと幸せな人生を送れたはずと考えて悲観してしまう。
宮台 「もし、あのとき~だったら、今の俺は……」という不在のものについてのリグレット(後悔)が、前方に投射されると、「もし、今~をしたら、未来の俺は……」というプラニングを生み、それが人間社会を猿社会と異なるものに進化させたのではないか、というお話でした。つまり、今を生きないことが、人間社会における社会性をなしていると。
神保 今を生きないから人間は猿と違う社会をつくれたと。
宮台 逆の言い方をすると、人間社会への社会的適応だけを考えていると、自動的に今を生きなくなる。「しくじった」と絶えず過去のリグレットをし、それゆえに、「未来にリグレットしないように今こうしよう」という指令に従い続けます。「過ぎ去ったことなのに、暗い過去をいつまでも覚えているから、明るい未来を構想する」という逆説です。
今に集中して幸せに生きることと、明るい未来のデザインを含めて社会的に生きることとはバッティングしがち。しかし、未来のデザインのために今を犠牲にすれば、未来になって「しまった」とリグレットを抱きがちだし、犠牲を取り返すぞという具合に損得の亡者にもなりがち。つまり、人間はチンパンジーよりも明らかに幸せじゃないんです。
神保 でも、それが人間の脳がここまで大きくなった理由でもあるそうです。チンパンジーの脳のほとんどが瞬間を把握するのに費やされているのは、ジャングルで生きていくためには一瞬の判断を求められるからだと。人間はその必要がなくて、代わりに脳を未来の心配に向けるということでした。これってアドラー心理学的には何か思われるところありますか。
岸見 今の話に引きつけられるかどうかわかりませんが、逆に今この瞬間を生きない人がいるというのはどういうことでしょう。薄らぼんやりとした光を今の瞬間に当ててしまうと、本当はそうじゃないけれど何となく先が見えるような気がするのではないでしょうか。しかし強烈なスポットライトを今ここに当てると、もう向こうは見えない。そういう生き方のほうが本来的かなと私は考えています。