神保 ただ「今この瞬間を生きる」というのは、一歩間違うと計画的に勉強して資格を取ったりすることを否定しているようにも聞こえます。そのあたりはどう考えたらいいですか。

岸見 計画は立てられないだろうと思いますが、「目標を持たなくていい」と言っているわけではありません。『嫌われる勇気』の最後に出てきますが、アドラーは「導きの星」ということを言っています。瞬間を丁寧に生きていくなかで、どんな状態であれ究極の「導きの星」を我々が目にしていればOKなのだと。

神保 目標は持っていいと。

岸見 その目標は「他者貢献」なんですね。自分のしていることが最終的にそこに向かっていることさえわかっていれば、あまり思い煩ったり迷ったりすることはないのです。

神保 たとえば「良い学校に入りたいから勉強する」というだけでは不十分で、良い学校に入ったうえでどうするのかが重要だと。勉強することで他者貢献への道を開くところまで考えて、いま一生懸命勉強すればよいわけですね。

岸見 有名大学に入るためだけに勉強している人は、人生を先延ばしにしていると思います。今この瞬間を大事にせず準備期間だとしか思っていない。そういう人は大学に入ったら、何も目標がなくなってしまうでしょう。

宮台 それで「親に騙された」と恨むわけですね(笑)。

岸見 そうですね。

神保 さらに言えば、東大に入ったことを高く買ってくれるような選択をするしかなくなりますね。選択肢がむしろ狭まる可能性もあり得ると。

岸見 今この瞬間を丁寧に生きて、結果的に振り返るとずいぶん遠くまで来たなということはあるはずです。天才たちは誰もがそうですよね。数学の問題を考えていたら時間が経つのも忘れたとかね。そういうことを積み重ねていけば、立派な業績を打ち立てられるかもしれないし、そうでないかもしれない。それはわからないけれど、とりあえずやることが楽しければいいと思います。そして、そういう勉強や研究が共同体に貢献することがわかっていれば、努力し続けられるのではないでしょうか。

宮台 社会学には「期待するから期待外れに打ちのめされる」というテーゼがあります。「未来のために現在を犠牲にしたのに、望んだ未来が到来しないのでバックラッシュして……」というのはよくある話。そうならないために……と人間的に頭を使い、「チンパンジーのように現在を生きつつ、人間的に未来を志向する」というのがアドラーの推奨でしょう。