最近の報道を見ていると、菅直人国家戦略担当相まで財務省に取り込まれた(または自らその傘下に入った)感がある。
自民党政権時代も財務省の力は強かったが、それでも族議員や業界団体の援護を受けて各省の力もあなどれなかった。
だが、政権交代を経てこの力関係は一変した。財務省の一人天下になったのである。
“財政家”に経済運営を
任せるべきではない
かねてから私は、財政家は経済運営の先頭に立つべきではないと言っている。
財政家、すなわち財務官僚やそのOBは膨大な情報を手にしているから確かに経済の実態に精通している。また、並みのエコノミストより優れた分析能力を持っている。
だからと言って国の経済運営を任せていいかというとそうではない。バブルの発生、展開、そして崩壊とその後の経済運営をめぐる旧大蔵省の判断ミスを振り返れば判る。
財政家が経済運営の中心となってもかまわない場合には2つの欠かせない条件がある。
1つは、80年代までの日本経済のように「右肩上がりの経済」が確固とした軌道になっている場合。その場合には、財政規模も同時に拡大するから、財政の主たる役割は、増収分を分配することになる。
より多く分配することは財務省にもできるが、大幅に予算を削減することは財務省の手に負えるものではない。今回の事業仕分けは、政権交代を奇貨として財務省が政治の力を使って進めたものだ。
もう1つは、財務官僚が、組織の制約を受けない自立した個人である場合だ。この辺の事情が諸外国や戦前の大蔵省と大きく異なっている。
財務省だけでなく現在の各省は1つの強力な利益共同体となっている。現役もOBも一体となって組織の権益を擁護し拡大することに努めている。“お手盛り人事”や天下りがなくならなければ、とても組織から離れた自立した個人として見識を発揮することができない。OBと言えども財務省の意向に逆らうことができないのだ。