東京ドームでの悲劇

 アメリカとの時差の関係で、前座試合の開始は午前9時になった。アリーナ6万3000席の半分は空席だった。ドンはお粗末なプロモーターだった。あいつと組んだとたん何もかも沈んでいった気がする。あいつは人の先行きに影を落とす暗雲だった。

 リングに入場するときも、いつものタイソンじゃなかった。誰が見ても、俺があそこにいたくないのはわかっただろう。試合開始のゴングが鳴ったが、お粗末な戦い方だった。一発決まれば起きてこないと考え、相手の体格を無視して、力まかせにパンチを振るっていった。しかし、さっぱり当たらない。ダグラスはジャブとリーチの長さを生かして俺にペースを握らせず、ボディを攻めようとすると、ひたすらホールドで逃げた。あの夜のあいつはすばらしかった。しかしそれは、俺が楽な標的だったからだ。俺は全然頭を振っていなかった。

 あいつは俺を恐れていなかった。それどころか、ラウンド終了後やブレイクの離れ際にパンチを打っていたのはあいつのほうだった。汚い戦法だが、それもボクシングのうちだ。みんながやっていたことだ。3ラウンドが終了してコーナーに戻ったとき、アーロンとジェイは目に見えて慌てていた。

「しっかり踏み込め」と、アーロンが言う。「相手の懐に飛び込むんだ。足が動いてない」

 言われなくてもわかってる。飛び込もうとしているんだ。相手のリーチは俺より12インチ長かった。

「いつものお前を思い出せ」と、ジェイが言った。「いいな。さあいこう」

 パンチを浴びていないときそれを言うのは簡単だ。俺はマットを見つめ続けた。

 4ラウンド、5ラウンドと、ダグラスは俺をぐらつかせた。5ラウンドの途中から目が腫れてきたが、コーナーに戻ったときはエンスウェル[金属の腫れ止め器具]も使ってもらえなかった。信じられるか? 特大のコンドームらしきものに氷水を詰めて、目に押し当てていたんだ。

 6ラウンドを迎えたときは疲れきっていた。左目は完全にふさがっていた。しかし、バスターも疲れているようだった。特に7ラウンドの開始時は。だが、そのチャンスをものにできなかった。8ラウンド、やつのパンチにぐらつかされ、残り20秒でロープを背負わされた。このころにはもう一発狙いだった。相変わらず相手のパンチにぐらつかされ、なかなか焦点が定まらなかったが、やっとすきが見えた。序盤からずっと、すきを見つけてもことごとくかわされ、突き通すことができなかったが、向こうも疲れて動きが鈍っていた。そこで得意の右アッパーを放ったら、ダグラスはダウンした。

 このときだ、とんでもないことが起こったのは。タイムキーパーは日本人、レフェリーはメキシコ人で、別々の言葉で話していたため、カウントが連係していなかった。レフェリーが「ファイブ」と言ったとき、ダグラスは8秒間キャンバスに倒れていた。つまり、いわゆるロングカウントに救われたんだ。俺は貧乏くじを引かされた。それもボクシングのうちだが、まったくひどい目に遭ったと思っている。本来、WBAは俺たちの側につくはずだった。ドンは関係者にかならずカネを握らせていたからだ。少なくとも当人はそう言っていた。あの日はレフェリーに渡すのを忘れたのかもしれないな。