本質的な価値を生まない仕事には、
どうしても納得ができない。

 しかし、私にはどうしても納得しがたいことがありました。
 それは、当時の卸の「ありよう」です。

 本来の卸とは、商品を扱うだけではなく、水産物にかかわるあらゆる情報を提供する存在でした。卸を通して、「こういうネタがほしい」「こうすれば、もっといいネタになるんじゃないか」といったことを生産者と相談することができたのです。

 ところが、当時、円高の進行などの要因が重なり、安価な輸入魚が増えたこともあり、経営環境が悪くなったために、情報を流通させるだけの余力を失う卸が増えていきました。なかには、モノを右から左に流しているだけで、本質的な価値を生み出しているとは思えないところもありました。むしろ、私たちが生産者と情報交換をする「障壁」にすらなってしまっていたのです。

 それでも、卸を通せば、その分価格は上乗せされます。いいネタであっても、そのために仕入れられないこともありました。あるいは、なんとか仕入れることができても、納得できる大きさでは売ることができませんでした。
 そのことが、どうしても納得できなかったのです。

 そこで、私は1992年に仕入部長になったタイミングで、卸とは別に、水産会社(商社)に直接アプローチすることにしました。水産会社とは、生産者から直接仕入れる会社で、ここから卸に商品が流れる仕組みになっていました。
 これは、寿司業界では、ほぼ前例のないことでした。
 まさに、タブーへの挑戦でしたが、お客様のためになることなら、できる限りのことをやろうと考えたわけです。

 しかし、商慣習というものは強い。
 水産会社にアプローチしても、卸に遠慮して、なかなか取引には応じてくれませんでした。こんなときは、粘り強く交渉を続けるしかありません。しかも、ソロバンをはじけば、直取引をしたほうが水産会社にもメリットがあるのは明らか。水産会社も、寿司屋がどんなネタを求めているのかといった情報を切実に求めていました。お互いの利害は多くの点で一致していたのです。

 そんな議論を繰り返して、ようやく一社の水産会社の上層部が腹をくくってくれました。直取引を本格化することに合意してくれたのです。そして、その実績をもとに一社ずつ直取引を増やしていきました。