東京最大手タクシー会社の3代目御曹司。だが、入社した時に会社は1900億円の負債を抱え瀕死の状態にあった。「暗黒の5年」「リハビリの5年」を経て、経営者として大きく成長。攻めに転じ、2年後、海外を狙う。「圧倒的なユニークネス」と「多くの者の共感を呼び揺り動かすビジョン」という一見、相矛盾する要素を兼ね備え、圧倒的な価値を生み出す“バリュークリエイター”の実像と戦略思考に迫る連載第5回後編。(企画構成:荒木博行、文:水野博泰)
※この記事は、GLOBIS.JP掲載「タクシー王子、暗黒を走り抜け戦略を知る 後編―川鍋一朗氏(バリュークリエイターたちの戦略論)」の転載です。
◆負債1900億円、孤立無援の御曹司がリストラ、タクシー乗務から戦略を知るまで――日本交通 代表取締役社長 川鍋一朗氏(前編)を読む
「もっと攻めていい」
――CCC増田宗昭氏の一言が転機に
川鍋の背中を押したのは、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の創業者で社長兼CEO(最高経営責任者)の増田宗昭だった。
2010年に入る頃から、川鍋の中でモヤモヤ感が広がっていた。リストラも落ち着き、会社の土台もしっかりしてきた。そろそろ攻めに転じてもいいのではないかと思う反面、本当に大丈夫なのか、日交マイクルのようにまた失敗するのではないかという躊躇もあり、気持ちに踏ん切りがつかなかったのだ。以下、川鍋の回想である。
「そんな時です。親しくしている澤田貴司さん(リヴァンプ社長兼CEO)や玉塚元一さん(リヴァンプ顧問、ローソン社長)から週末勉強会の講師として招かれたのです。企業再生をテーマに議論したのですが、そこに増田さんがいらっしゃって、僕の話をずっと聞いていたんです。「頑張っているね」と声をかけていただいた。オーソドックスにやるべきことをやるのはいいが、そろそろ新しいマーケットとか新しいサービスに取り組むべきではないか。もっと攻めた方がいいよ、というアドバイスをもらったんです。
それまで、本当にビジネスというものがつまらなくて、義務感でやっていた。ビジネスって、堪え忍んで、「男は黙って高倉健」の世界だと思い込もうとしていたのですが、増田さんの言葉はグサッと刺さりましたね。2010年で自分も40歳になったし、会社も落ち着いてきた。よし、やるぞって気持ちになりました」
日本初の配車アプリ、
キッズタクシーなど新サービスを連打
日本交通は、2010年に本社を東京品川区から現在の北区浮間(赤羽本社と呼ばれている)に移転した。2007年に買収していた東洋交通の本社ビルに間借りする格好だ。日本交通の歴史を振り返れば、銀座、赤坂、品川、赤羽と移転のたびに東京の中心から離れていくのだが、川鍋にとっては過去と決別するための前向きな転地だったのかもしれない。
翌2011年には、三つの新事業を開始した。具体的には、(1)スマートフォンでタクシー配車を簡単に依頼できる「日本交通タクシー配車」(日交アプリ)、(2)東京観光タクシー、ケアタクシー、キッズタクシーの3サービスからなる「エキスパート・ドライバー・サービス(EDS)」、(3)デイサービス型介護事業――である。