北京オリンピックも折り返し地点を過ぎた。

 見ていて力が入るのは、やはり日本選手が出場する競技。期待を上まわる結果を残す選手もいれば期待を裏切る選手もいる。皆さんと同様に、スポーツのことを書かせてもらう機会が多い筆者も、そのたびにテレビの前で一喜一憂している。

 ライブがない競技はネットでの速報をチェックする。ネット速報には観戦した人たちが感想を寄せる投稿欄もあり、つい気になって読むのだが、その内容がなかなか興味深い。

 目につくのは期待を裏切った選手、惨敗した選手に対する辛辣な批判だ。「情けない」、「見ていて恥ずかしくなった」、「もう帰ってこなくていい」等々、匿名のせいかストレートに感情をぶつけるものが多い。

批判派と擁護派が
投稿欄で激しいバトル

 その批判をよくチェックしてみると、いくつかのパターンがある。選手に関してはパフォーマンスだけでなく競技後の態度やコメントに対する言及も多い。実によく見ているというか、ちょっとした言葉尻までとらえて攻撃するのである。選手側もそうした気配を感じているのか、見ている人の気分を害さない態度やコメントをするよう努めている。それなりの成績を残した選手は「応援してくれた人たちのおかげ」、「感謝」といった言葉が必ず出るし、負けた選手は本当に申し訳なさそうにする。突っ込みどころを作らないようにしているのだ。

 競技団体やメディアに対する批判も多い。競技団体に対しては「なぜこの選手を選んだのか」と選考にもれた別の有力選手の名を挙げて責任を問う。メディアへは「さんざん期待させてこの結果はなんだ」というものが目立つ。前回、当連載で取り上げたようにマスメディアは大会を盛り上げようと、少しでもメダルの可能性があれば「有望」と期待を煽る傾向がある。それに乗せられたことの腹立たしさを投稿欄にぶつけるのだろう。

 また、「税金を使っているのに」という投稿も少なくない。批判を正当化するため納税者の立場を出すのである。実際、選手強化やオリンピック派遣には国家予算が投入されている。ある意味この批判が、期待に応えられなかった選手にとっては一番きついかもしれない。