1978年、中国が改革・開放路線を歩み出した。「窓を開けて世界を見よう」というスローガンが鎖国の中国に新しい風を吹き込んだ。ポスト毛沢東時代を代表するリーダー・トウ小平(トウの字は登におおざと)の声と意思も中国の隅々に浸透しはじめた。

 堅苦しくて閉鎖的な社会から長年、忍耐を強いられてきた中国国民は、ようやく自分の意思で生活スタイルを選べる夢を見始めた。改革・開放時代の初期を象徴する社会現象として、「昼間は老トウ、夜間は小トウ」と言われるほど、テレサ・テン(トウ麗君)の歌声が中国社会を秘かに風靡した。ここに言う「老トウ」と「小トウ」は言うまでもなくトウ小平とトウ麗君のことを指す。

テレサ・テンを流行らせた黒子役

 テレサ・テンの歌を中国社会の隅々にまで送り込んで、「昼間は老トウ、夜間は小トウ」という社会現象を作りだしたのには、黒子的な立役者の存在があった。それは日本のラジカセだった。特に三洋電機製ラジカセは中国で絶大な人気を博し、輸入品のTシャツにサングラスをかけ、手に三洋電機製ラジカセを持って公園や広場を闊歩する人も結構いた。

 2008年、改革・開放30周年記念展が行われた地方が結構あったが、南京市の記念展では、三洋電機製ラジカセも改革・開放時代の初期の展示を飾る存在となった。日本製の家電製品が中国社会の歩みと一体化した珍しい実例だと言えよう。逆に言えば、中国における当時の三洋電機の存在感が、いかに大きかったのかを思い知ることができる。

 だが、「好花不常開」(美しい花はいつまでも咲いていくことはできない)とテレサ・テンが歌ったように、中国ではあれほど人気が高かった三洋電機は、今はもう存在しない。2011年3月29日、三洋電機が上場廃止になった。約10万人いた社員も雲散霧消してしまい、パナソニックに吸収されたのはわずか9000人前後だった。しかもこの9000人ものちに早期退職などでのリストラ策で、パナソニックを追い出された。

 以前、講演で岐阜県を訪問したとき、巨大な太陽光発電施設を目にしたことがある。そこのSANYOという大きな文字に、その会社の存在感を否応なしに感じた。しかし、数年後、再び講演で岐阜県に行くと、太陽光発電施設は依然として威容を誇っているが、文字はPanasonicと変わってしまった。三洋電機とは縁もゆかりもないが、こうしたロゴの変化に私までも一抹の哀愁を覚えたのは、やはり三洋電機と中国の改革・開放時代との関係を知っているからだと思う。