一部の企業のケースでは、そうした状況が高じて「ブラック組織化」へと行きついてしまうこともあるだろう。ブラック組織では、経営者や管理職が社員に異なる価値観を認めず、同一の価値観で縛ろうとすることにより、それがエスカレートして、いじめ、パワハラなどにつながるケースが多い。そこには、社員同士がお互いを活性化させ、会社の発展を目指すための前向きなコミュニケーションなど、皆無である。

 そんな状況が続くと、当然ながら仕事はうまく回らなくなり、ビジネスが停滞し、依然として厳しい事業環境や、成果主義的評価制度への焦りといった外部要因も相まって、社員同士がお互いの足を引っ張り合うようになる。組織のモラルやチェック機能がことごとく低下し、さらに陰湿ないじめや「追い出し」が起きるようになる。そんな「負のスパイラル」に陥りかねないのである。

グローバルコミュニケーション能力
の欠如は、日本文化そのものの特徴

 ちなみに、グローバルコミュニケーション能力の欠如は、日本の組織に限ったものではなく、日本文化そのものの特徴と言ってよい。週刊誌やウェブマガジンの記事の見出しには、「○○な男子は女子に嫌われる!?こんな質問は女子にタブー」「面接でのNGワードはこれ。面接官が『こりゃだめだ』と思う10のセリフ」といった、「同一の視点、同一の価値観、同一の行動パターン」を助長するタイトルが並ぶ。異なる考えや視点という多様性を、損なう方向の記事ばかりである。

 前述の小学校のプログラムは、欧米で開発されたものだ。もともと個性尊重で異質なものをすり合わせざるを得ない欧米文化の中では、そういった訓練は必須だし、それが自然にグローバル社会を生き抜くための糧ともなっている。

 したがって、日本の組織が取り組まねばならないのは、個人の価値観や視点を会社に則したものに教育することではなく、異なる価値観や視点同士をいかにコミュニケートさせて、創造性を高めていくか、という点だ。

 欧米では小学生のうちから育まれているグローバルコミュニケーション能力を、日本ではこれから訓練しなくてはならない。大変なハンデではあるが、それに取り組まないと生き残ってはいけない。