原子力規制委員会は昨年12月、新規制基準を定めた。東海再処理施設がこれに対応するには1000億円以上も要する見通しとなった。そのため、施設の存続は困難とJAEAが判断し、原子力機構改革検証委員会での報告・了承を経て、10月2日に文部科学省にその旨が報告された。だが、日本における原子力平和利用の歴史的モニュメントとも言うべき東海再処理施設の廃止を、そんな簡単に決めることが妥当なのか。

 日本の原子力研究者は最近、実験研究の場所として韓国の原子炉を利用するケースが増えていると仄聞する。例えば、京都大学と近畿大学の研究用原子炉は、今年の春から、新規制基準への適合審査のために停止したままであり、近大は今年度の原子炉実習を韓国の慶煕(キョンヒ)大学の原子炉で行った。これでは、技術立国・日本の名は地に堕ちたと言われても仕方がない。

 日本が再処理を認められるようになるまでの道のりは決して平坦なものではなく、非常な困難を伴うものであった。1977年4月に米カーター大統領(民主党)が、いわゆる原子力封じ込め政策を発表して以降、1981年5月に鈴木善幸首相とレーガン大統領(共和党)が共同声明を発表するまでの間、多難な国際交渉の連続であった。

 この過程で、米国は東海再処理施設の運転継続のために速やかに協議を開始することを打ち出し、日本に対する核不拡散政策・封じ込めを緩和した。1980年7月には、東海再処理工場の混合転換について合意に達した後、1988年7月に新たな日米原子力協定が発効し、東海再処理施設での技術が六ヶ所再処理工場(青森県六ケ所村)に引き継がれている。

(出典:日本原燃ホームページより)

 このように多難で貴重な国際交渉の成果が今日に引き継がれていることは、関係者ならずとも忘れてはなるまい。この辺りのことは、本連載第21回(6月2日付け)に詳しいので、適宜参照されたい。

あまりに早計な東海再処理施設廃止
『貿易財』の喪失は国家的危機の素

 東海再処理施設は、1981年の運用開始以来、約1140トンの使用済核燃料を処理し、日本の核燃料サイクル技術の向上や定着に先駆的役割を果たしてきた。この施設で処理を予定していたのは、新型転換炉「ふげん」の使用済MOX燃料(約110トン)である。これについては、フランスなど海外への委託処理が検討されるとのこと。東海再処理施設には、まだ果たすべき任務は残っているわけだ。この点、何とももったいない話ではないか。