それは、1966年12月26日(月)の夕刻。ロンドンはフォレストゲイト地区の1-39ウッドグラント・レーンのアッパー・カット・クラブの楽屋です。ジミ・ヘンドリックスは、出番を待っている間、いつものようにギターを爪弾いていました。コードやフレーズは思いつくまま。その時、後に世界を変えることになる印象的なイントロのフレーズ(シ・レ・ソ・ラ)が生まれたのです。ジミは何気なく弾き流していましたが、その楽屋にいたマネージャー兼プロデューサーのチャス・チャンドラーの耳が、この響きに偉大なるサムシングを感じたのです。チャスは、叫びました。

 「その続きを早く書いてしまえ!」

 ジミ・ヘンドリックスにとっては、チャス・チャンドラーは友人・兄貴・恩人、そして音楽界の先輩でした。チャス・チャンドラーこそが、世紀の大天才でありながら、米国で燻っていたジミの才能を見抜いて英国に連れてきたのです(この出会いもまた運命的邂逅です。詳しくは次回へ)。そしてジミは、チャスの審美眼に絶対的な信頼を置いていました。そのチャスが興奮して言うのです。

 ジミは早速、出番を待っている間、”紫のけむり”の歌詞の原型を書き上げました。その手書きのメモは今も残っています。今週の音盤のライナーノートにも掲載されています。創造の瞬間を記す一級のドキュメントは必見です。

 そして、67年1月11日(水)ディレイン・リー・スタジオにてバンドのメンバーが参集して初めて演奏します。このバンドは、ジミのギターにミチ・ミッチェルのドラム、ノエル・レディングのベースというトリオ編成で名をジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスといいます。

 実は、このスタジオは廉価な練習スタジオで大した録音設備はありません。

 何故なら、未だこの段階では、シングル盤(“ヘイ・ジョー”今週の音盤にも収録)を1枚出しただけで商業的な成功とは無縁だったからです。野心は大きく、才能は無限大でしたが、現実の生活は大変厳しい状況でした。チャス・チャンドラーはマネージャーとして金策に走り回ってもいました。

 この時はとりあえず、このスタジオを借りて、何度かのリハーサルを経て、デモ録音を行います。そして“紫のけむり”の原型が完成。プロデューサーのチェスは、この出来栄えに満足し、第2弾シングル盤はこの曲だと決め、本格的な録音を企画します。

 ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは、この時期、商業的には苦しい状況でしたが、ロンドンの音楽関係者の間では注目の存在となっていきます。ジミの圧倒的なギター演奏が評判となり、ほぼ連日、ロンドン中の主要クラブに掛け持ちで出演していました。その間、新曲”紫のけむり”も演奏。観客の反応もよい上、何よりも、本番で何度も演奏することで、バンドとしての戦闘力が圧倒的に向上し、満を持して、録音に取り組みます。

 2月3日、7日、8日、ロンドンの最高峰スタジオであるオリンピックスタジオで曲を仕上げます。

 当時はアナログの時代なので、録音機材にも限界はありました。が、ジミとチャスのアイデアは無尽蔵です。しかもここには、エディー・クレイマーという天才エンジニアもいました。

 例えば、録音したテープを再生する時に、速度を2倍に上げることで、ギターの音色を宇宙的なニュアンスにするといったことも試みています。そして前後3日間にわたる録音セッションで完成。それが今週の音盤に収録されているテイクです。

 しかし、その完成形ができるに至るプロセスを知りたいと思うのが音楽愛好家です。ボックス盤「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス~アンリリースト&レア・マスター」(写真)には、オリンピックスタジオでの別テイクを収録しています。未だ発展途上の楽曲が持つ荒削りな熱気を刻んでいます。