国難に使命を見出すのは
現代も幕末も同じ
こんにちは鈴木寛です。
阪神淡路大震災から20年が経ちました。亡くなられた6434人の方々に哀悼の意を表します。個人的には、神戸で生まれ、幼少期、小学校の半分、中学・高校を神戸で過ごし、今でも実家が現地にある私としては、まさに故郷が見舞われた惨劇でした。
終戦から半世紀の節目で起きたあの震災は、日本の社会が「ポスト戦後」を意識するきっかけになりました。私が関わっている分野の中でいえば、日本でNPO活動が本格的に動き出すきっかけになりました。戦後では最大規模の都市型災害とあって行政による公助の限界が浮き彫りになり、市民社会が地域を運営する意義に注目されたからです。
私にとってさまざまな意味で転機となった震災ですが、自らの使命を見出した方々もたくさんおられます。著名人ですと、当時駆け出しのモデルだった藤原紀香さん(西宮市出身)は故郷の友人に励まされ、芸能界で勝負する決意を固めたそうです。
私の友人では三木谷浩史さん(神戸市出身)。亡くなった叔父・叔母を含む500人の遺体が並ぶ公民館の光景を見て、「人はいつか死ぬ。人生は有限だ。残された時間は少ない」との思いを抱かれたそうです。それが後に楽天を起業する原動力になったと伺っています。
使命の二文字は「命を使う」と書きます。つまり、私たちがどう生きるかが問われているのです。国難ともいえる事態を前に、己が使命を自覚する人はいつの世もいます。
幕末では黒船が浦賀沖に出現して、太平の眠りを覚ましに来たことが志士たちの決起を促しました。その黒船に大胆不敵にも乗り込んで海外渡航を図ろうとしたのが吉田寅次郎。後に松陰と呼ばれる長州藩出身の若者は、このときまだ数え年で23歳に過ぎませんでした。
ご承知の通り、今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は松陰の妹、杉文が主人公。ドラマでも松陰が黒船に乗り込んだ様子が近く描かれることと思います。松下村塾で明治維新を築いた若者たちを育て上げた松陰の生き様に、大きな影響を受けた私としては、今年の大河ドラマは例年以上に興味深く拝見しています。