日和山のふもとに広がる門脇町・南浜町地区では、多くの人が犠牲になった

 裁判で争う中、世間の目を意識することもあったという。記者会見などでは西城さんは常に気丈であり続けたが、思うことは少なくなかったようだ。

「精神的な圧迫は感じていたよね。周囲には、震災で争うのか……なんていう興味本位で見る人もいたみたいだけど、ありがたい人もたくさんいた。『俺の孫があんたの娘みたいになったら、同じような行動をとったかもしんねぇなあ』『西城さんの行動は、間違っているとは思わねぇぞ』と、声をかけてくださることもあった」

 夫婦で喧嘩をすることは、ほとんどなくなったようだ。西城さんが、「なんでなんだろうね」と考え込みながら話す。

「あの日、はるが味わったことや、俺たち夫婦が感じた怒りとか、言葉では説明ができないほどの苦しみに比べると、すごく小さなことで怒っていることがわかるの。小さいよ……。喧嘩なんて……。この人も、そんなことを感じているんじゃないかな」

 江津子さんは黙ったままだった。1歳の子が時折、部屋の中を歩く。夫婦は、その姿に目線を送る。

高裁では裁判官が和解を強く勧める
幼稚園側からの謝罪はいまだにない

門脇町・南浜町地区の門脇小学校。震災当日、幼稚園のバスはこの付近を走った

 裁判は控訴審に進むが、遺族にとっては意外な展開で進んだという。西城さんには、和解を前提に進んでいるようにすら見えたことがあるようだ。筆者も、被災地で裁判を行う他の遺族から「高裁では、裁判官が和解を強く勧める」とよく耳にする。

「俺には、クエスチョンマークだらけだった。いったい、どうすればいいのか、どうすべきなのかって迷い始めた。幼稚園側は、早い段階で『法的責任を認めます』と言ってくるんだから。これにも面食らったよ……(苦笑)。そもそも法的責任を認めるか否かが、当初争うテーマの1つだったから。もしかすると、幼稚園側のペースに俺たちは乗っていたのかもしんないね」

 このあたりになると、話すスピードが遅くなり、ポツリポツリとつぶやく。

「次第に、裁判では娘たちの死の真相は明らかにされないと思った……。難しい、と思ったね。ある意味、幼稚園は勝ったのかもしんねえ。だけど、妥協ではないの。今こそ、(争いを終えて裁判から)出るべきだと思ったの。少なくとも俺にとっての和解は、仲直りすることではないから……。弁護士の方からも教えられたの。相手と手をつなぐことではないって。こちらの要望をのませた上で終えるもの、って」