埼玉県の所沢市、川越市、狭山市、三芳町の三市一町にまたがる“産廃銀座”。
所沢ダイオキシン騒動の犯人と決めつけられ、大バッシング受けた石坂産業“絶体絶命”の窮地を救った石坂典子社長。『朝日新聞』書評でも「人間ドラマに勇気が湧く」と紹介された処女作『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』が話題となっている。
かたや発達につまずきのある子とその家族への指導のために世界各地をかけめぐる国際的セラピストで早くも第5刷が決まった『世界に1つだけの子育ての教科書』著者の奥田健次氏。
ともに自分の父親との関係に悩んだ過去を持ち、さまざまな場面で課題を克服してきた。1972年生まれ同士の痛快教育談義その2!(構成・橋本淳司)
「1年間」という限定が、なぜ有効なのか?
石坂産業株式会社代表取締役社長。「所沢ダイオキシン騒動」最中に2代目社長に。地域から嫌われ、社員の4割が去る絶体絶命の状況から「脱・産廃屋」を目指し、社員教育を断行。12年かけて、トヨタ、全日空、日本経営合理化協会、各種中小企業、大臣、知事、大学教授、タレント、ベストセラー作家、小学生、中南米・カリブ10ヵ国大使まで、日本全国だけでなく世界中からも見学者があとを絶たない企業に変える。経済産業省「おもてなし経営企業選」選抜。2013年末、首相官邸からも招待。財団法人日本そうじ協会主催の「掃除大賞」と「文部科学大臣賞」をダブル受賞。『心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU』(日本テレビ系)にも出演。ホタルやニホンミツバチが飛び交う里山保全活動に取り組み、JHEP(ハビタット評価認証制度)最高ランクの「AAA」を取得(日本では2社のみ)。「所沢のジャンヌ・ダルク」という異名も。本書が初の著書。(撮影:平山順一)
石坂 私と父との関係を「うらやましい」と言ってくれたのは、奥田さんが初めてです。
奥田 僕は本当の父親とは3歳のときに別れているし、次の父親からは鼓膜が破れるくらい何度も何度も殴られまくる日々でした。
石坂さんのお父さんが凄いなあと思うのは、娘が「社長やりたい」と言い出したときに、「お試し社長」にするところ。重要なポイントは、1年間という期限を区切っていることなんです。
石坂 あ、なんか分析されちゃう(笑)。
奥田 分析というほど大げさなものじゃないけど、時間を区切るのは約束の鉄則。ぐうたら寝ていても、しゃかりきに走っていても時間はすぎていく。会社が絶体絶命の状況の中で「1年間」と時間を区切ることで、石坂さんはおもいきって全力疾走できたんです。
石坂 たしかにそうかも。体育の先生に「俺がいいというまで校庭を走れ」と言われるとつらいけど、「10分間走れ」と言われるとおもいきって走れますよね。
奥田 「1年で結果を出せ」という命令は一見非情に思えるけど、じつはわかりやすい。数字で示してくれているから数字で答えればいい。
『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』にあった、「朝8時30分から15分だけの儀式」というのもいいですね。
石坂 当時、代表権は父が持っていましたから、私がどんなにやりたいことでも、最終決裁をする父がひと言「NO」というだけであきらめなくてはならない。何か新しいことをやるたびに、説明&説得の繰り返し。
私は、職人肌で気難しい父と大切な話をするのは毎朝8時30分から15分だけと決めていました。
奥田 むやみやたらに話すとまとまるものもまとまらない。一定の時間内で自分のやりたいことを説明し、最後にYESかNOかをジャッジしてもらう。NOになったら再チャレンジする。非常にいいやり方です。