親子関係に悩み、仕事と子育てに忙殺されるなか、かたや不安障害を発症し、かたや家庭を崩壊させる。
著書『解縛(げばく)』で「不安障害」と「摂食障害」の半生をカミングアウトした小島慶子。
ダイオキシン騒動後に窮地に陥った会社を建て直した処女作『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』が話題になり、TBSテレビ『夢の扉+』出演で大反響を呼んだ石坂典子氏。1972年生まれ同士の「壮絶本音対談」(全3回)。これほどの過去を背負った同い年同士の対談は非常にめずらしいかもしれない。(構成:橋本淳司)

石坂典子は女子アナになっても
出世した!?

小島慶子(こじま・けいこ)
タレント、エッセイスト。 1995年、TBSに入社。アナウンサーとしてテレビ・ラジオに出演。99年に第36回ギャラクシーDJパーソナリティー賞を受賞。2010年にTBSを退社後、タレント、エッセイストとして活躍。著書には、夫が退職し、オーストラリアに移住したことが書かれた『大黒柱マザー』(双葉社)など多数。小説『わたしの神様』(幻冬舎)が4月30日に発売予定。

小島 石坂さんの『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』を拝読して、お父さんと一緒に「会社をどうしようか」と真剣に考えられるのはうらやましいと思いました。
 私は父がどういう人かよくわからない。どんな夢を見て、何に苦しみ、何に傷ついたか見当もつきません。

石坂 お父さんはどんな仕事をされていたんですか?

小島 商社マンでした。家にいるときは庭の手入れをしたり、壁を塗り直したり、DIY好きの人でしたし、家族とドライブに行ったりと、「家庭を顧みない人」というわけではありません。ただ、残業や休日出勤も多く、とても忙しくしていたので、やはり私は父の一部分しかわかっていないと思うんです。

石坂 「うらやましい」と言っていただいたのですが、事業承継してからは親子の関係というより、創業者と2代目社長の関係になりました。

小島 確かに、父親と娘というだけでなく、創業者と2代目という関係でもあるというのは興味深いですね。
 本を読んでいて、「石坂さんは大人だ。きっと女子アナになっても出世したに違いない」と思いました(笑)。
 女の人がいわゆる「職場の花」のように、“添えもの”的扱いをされるのは差別的なことで許せませんが、女性がいたほうが場が華やかになるのも確か。男性だろうと女性だろうと総合的な情報のなかには、「見た目」も含まれます。
 おそらく石坂さんは、「自分は見た目に恵まれている」「人はどうもそこに注目するらしい」「ならば、これはビジネスアイテムとして使えるのではないか」と、自覚した時期があるのでは?

石坂 20代のときはあまり考えていなかったのですが、30代で社長に就任したときは、女を隠そうとしていました。
 周囲からは、「女に経営はできない」と言われていましたから。母親くらいの世代の女性経営者から「ちゃらちゃらしていて仕事できるの?」と言われたこともありましたし。
 だから、黒パンツに黒ジャケット。全身黒ずくめで葬儀屋さんのようなファッションでわざと男っぽくふるまったんです。

小島 いまのような素敵なファッションに変わるのはいつぐらいですか?

石坂 社長就任後の数年間は仕事、仕事で季節の移り変わりもわからないほどでした。
 それで私自身ボロボロになって、家庭も崩壊してしまうんです。
 そんなとき友だちから「自分の人生がもったいないよ。まわりを気にしないで自分らしく生きてみれば」と言われました。
 ある日、スカートをはいてみたら心が解放された。それに周囲の男性は喜んでくれる。いい影響があるなら、いいじゃないかと、ようやくさばけて……。

小島 私も最終的にそこにたどりつきました(笑)。20代の頃は、「女子アナ」に見られることに激しく抵抗して、男っぽい格好をしていました。
 髪はショート、ワークブーツに迷彩のシャツで仕事場へ行く。すると相手は不安になるんです。場に華やぎを与えることもプロの「女子アナ」としての重要な仕事であるにもかかわらず、そこに反旗を翻している存在はとっても面倒くさい。
  「女子としてかわいく振る舞うこと」=「相手にこびを売ること」と意識しすぎていたんですね。

石坂 私も「社長はこうでなくちゃいけない」と過剰に意識していたんだと思う。