これまで本コーナーでは何度かに渡り、米国の新聞が直面する危機的な状況(読者離れと広告離れ)について説明してきました。それに対して、新聞社は基本的に自助努力で乗り切ろうと頑張っているのですが、米国の連邦議会では、例えば新聞社のNPO化による税制上の優遇や、独占禁止法の緩和による業界再編の促進などの救済策が議論されています。米国では、新聞危機は社会的な問題にまでなっているのです。
日本でのおバカな議論
もちろん、新聞危機の状況は日本でも変わりません。相対的に盤石に見えたあの日経新聞ですら、2009年6月中間期の連結決算では赤字に転落しました(2000年12月期の連結決算開示後、中間期としては初の赤字)。今や日本のすべての新聞社が苦しんでいると言っても過言ではないでしょう。
そうした中、8月下旬の毎日新聞にすごい論調が出ました。“メディア政策:新政権に望む 「表現・報道の自由」規制、デジタル社会、そして…”という特集の中で、ある高名なジャーナリストの方が以下のように述べているのです。
「日本では社会文化政策として新聞ジャーナリズムの公的な支援論議はほとんどされてこなかったが、いまこそ始める時ではないか。」
「欧米の政策を参考にした税制上の優遇や、教育文化政策の一環として、ジャーナリズムの社会的な重要性を学ぶためのカリキュラムを強化したり、義務教育が終了する15歳を機に新聞の1年間無料配布を検討してもいい。年500億円で足りよう。」
これを読んで、皆様はどう思われますか? 私は、「うーん」と唸ってしまいました。すごく甘えているからです。
この方も最初にコメントしているように、民主主義社会ではジャーナリズムは不可欠です。それは間違いありません。ただ、新聞が現在直面している危機の本質は、インターネットの普及という環境変化に伴って新聞のビジネスモデルが時代遅れになったということです。読者数の減少や広告の減少は、その結果でしかありません。