マッカーサーのご乱心とGHQの方向転換

ダグラス・マッカーサー

 GHQ内でGSとG2が激しくつばぜり合いを行っていた頃、マッカーサーのテンションは下がりに下がっていた。

 正直彼には、もう日本でやることはなかった。孤高の最高司令官は、あまりにも高い地位に祭り上げられたため、実務面でやるべきことがなかったのだ。それらはすべて、GSとG2が奪い合っていた。

「俺、何もやることないなあ……」

 対日戦の英雄と祭り上げられた俺が、今は日本で飾り物だ。「元帥は今まで頑張ったんだから、後は若い者に任せて、庭で盆栽でもいじっててくださいよ」か……。

 いや、冗談じゃない! 俺はまだまだ若いんだ。なのに日本での占領統治も、結局俺の見せ場はパフォーマンスだけ。コーンパイプにサングラス、天皇の前でのラフな格好、もうそんな茶番はうんざりだ。

 この頃からマッカーサーは、帰国してアメリカ大統領になることを本気で考え始めていた。前にも一回出ようと思ったが、そのときはまだ戦時中だったし、諸般の事情で断念した。でも、もう戦争も終わった。しかも俺は第二次世界大戦の英雄だし、今ならタイミング的にも申し分ない。アメリカには俺にちなんで「ダグラス」という名前の子どもも多い。

 おまけに、日本での人気も高い。終戦直後からNHKラジオで『真相はかうだ』なんて番組をやらせて、今まで日本軍が隠してきた“リアルな日本軍”を流したせいか、それとも日本のマスコミが俺に取り入ろうと提灯記事ばっかり書いてくれたせいか、はたまたアメリカから送ってきた大量の小麦粉を俺のおかげと思ってくれたせいかはわからない。

 でも、間違いなく俺は今、日本では英雄どころか神様扱いだ。たまに街に出れば、みんな「マッカーサー様、マッカーサー様」ってキャーキャー手を振ってくるし、ファンレターだって何万通ももらった。俺を祀る新興宗教や、マッカーサー神社をつくる計画まである。これだけ人気があるなら、アメリカ大統領にもなれるんじゃないか?

 彼はそう考えるようになり、アメリカ向けの報告でも「日本統治は順調。日本人は従順で紳士的」と、日本を褒めまくるようになった。1948年の大統領選挙に出馬するには、それまでに占領統治を終えた上で軍を退役し(現役軍人は大統領になれないから)、アメリカに帰国して準備を始めなければならない。なら、もう日本での役割は終わったことにしないと。

 彼の占領統治には、次第に信念や情熱が感じられなくなり、GSやG2、それとトルーマンの間でブレる占領政策にも逆らわず、おおむね受け入れていった。

 しかし、1948年の大統領選に、マッカーサーの姿はなかった。彼はその前の予備選挙で惨敗し、共和党の候補にすらなれなかったのだ。彼は軍人としての人気は高かったが、その保守的でタカ派的な言動は一部の人からは熱烈に支持されても、全国民から支持されるものではなかった。

 結局、1948年の大統領選は、マッカーサーが嫌った民主党のトルーマンが再選された。マッカーサーは再び日本の占領政策に没頭し、自らが「労働の民主化」を進めた日本で、公務員から争議権を奪い団体交渉権を厳しく制限する「政令201号」の公布を指示し、労働組合活動を弾圧した。

 そんななか、1950年に朝鮮戦争は勃発した。マッカーサーは朝鮮半島におけるアメリカ軍の全指揮権を任された。

「よし、ついに俺の出番だ! やっぱり俺は、戦場で生き生きしているほうが性に合う。ここは張り切って、ソウルを取り戻すぞ」

 でも、米軍がお留守になると、今度は日本で革命騒ぎが起こるかも。よし、ならば日本に強めの警察組織をつくらせて留守を守らせよう。幸い日本はもはやアメリカに刃向ったりしなさそうだし、反共の砦にするなら軍事力も必要だ。しかも、復員兵たちの雇用確保にもちょうどいい。奴らをほっといて共産党員になられても困るしな――。

 こういう流れでマッカーサーは日本に「警察予備隊」の設置を指示し、ここに日本の再軍備は始まったのだ。これで7万5000人の雇用が生まれ、しかも米軍から朝鮮戦争用の軍需物資の注文が殺到し、特需景気も生まれた。

 さらには公職追放も解除され、血の気が多いと見なされた戦中派の大量復帰も実現した。そのかわり、共産党員が公職から追放される「レッド・パージ」が敢行された。

 ちなみに、これを実行したマッカーサーは、朝鮮戦争後に失脚する。彼は中国国境の鴨緑江まで攻め込み、その中国に原爆を使おうと進言したが、そこまで戦争を拡大させたくないトルーマンに拒否され、更迭されたのだ。

 でも日本は、そのマッカーサーの置き土産として、経済力だけでなく軍事力も身に付けさせてもらった。アメリカの番犬になるには十分だ。