夜中にこっそり結ばれた運命の日米安保条約
調印場所は、当時サンフランシスコのプレシディオ国立公園内にあった「下士官クラブ」。華やかなオペラハウスとは対照的に、ここは米軍将校用の酒場だ。こんなところに吉田茂は池田勇人だけを随行させて出向き、そこで日本代表として、たった一人で条約に署名したのだ。
なぜ吉田は、この条約にたった一人で署名したのか? アメリカ側は、ディーン・アチソン国務長官、ジョン・フォスター・ダレス国務省顧問ら4人が署名しているというのに。それはこの条約が、おそらく日本国内ではすこぶる評判の悪いものになるであろうことが、わかっていたからだ。
だって、日本の安全保障をアメリカに委ねるかわりにアメリカに基地を提供するなんて、独立国家としてはあり得ない。僕たち日本人は、この環境にあまりにも慣れすぎたせいで、自分たちのおかしな点が見えなくなってしまっているが、もしこれと同じ関係を、例えば中国とブルネイの間で作ったら、どう見えるか想像してみてほしい。
南シナ海に面した南国の青い空の下、自国の軍隊を捨てて得意満面で「平和国家」を宣言するブルネイ。でもそこには、「ブルネイの平和は俺たちが守ってやる」と、中国軍基地と中国人兵士がウジャウジャ……。
それを見た人はおそらく「あーあブルネイ、中国に騙されるぞ。傍目から見ればただの属国じゃん」と思うはずだ。だが、僕らに笑う資格はない。なぜなら日米関係も、これと同じだからだ。
そもそも、独立した主権国家の中に外国軍隊がウロウロしているなんて、本来あってはいけないのだ。でもこれが起こっている。なぜか? それは同条約が、事実上「占領政策の継続」だからだ。
つまり、日米安保条約は、日本が独立国家としての誇りを捨てることで、その見返りにアメリカが日本のガードマンになってくれるという契約なのだ(極東最前線に基地を得るついでに)。だから吉田は池田勇人に言った。「この条約には私一人が署名する。君は書かんでいい。君の経歴に傷がつくぞ」と。
では吉田茂は、なぜこんな条約に署名したのだろうか? それは彼が“通商国家”としての日本をめざしていたからだ。
通商国家で世の中を渡っていくには、できるだけ身軽なほうがいい。だから吉田は、軍隊という「高コストの組織」はアメリカに任せ、できる限り“節約”できる道を選んだのだ。対してダレスは、「我々の望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」をほしがっていた。
ここに両者の思惑は一致し、吉田一人による日米安保条約締結にいたったのだ。