ついに念願の独立!――サンフランシスコ講和条約
そして、マッカーサー更迭後の1951年、日本は連合国側の48ヵ国といっせいに仲直りするための条約「サンフランシスコ講和条約」を締結し、ついに独立を達成した。
同条約の調印式には、首席全権の吉田茂(総理)、全権委員の池田勇人(蔵相)、同委員の苫米地義三(国民民主党委員長)など、超党派の6人が参加し、サンフランシスコの華やかなオペラハウスで調印した。
ただしこの条約には、東の面々は参加していない。ソ連もいなければ中国もいない。こういう“社会主義国抜き”で結んだ条約を、全面講和に対して「片面講和」という。また、厳密に言うと“戦っていない”という理由で、韓国と北朝鮮も招請されなかった。
そういう意味では、この条約は不十分というか、日本が西側陣営に受け入れられるための儀式に近い。でも日本は感無量だ。やっと独立を達成し、国際社会の仲間入りを果たすことができたのだから。
「西のみなさん、今まで日本はご迷惑をおかけしましたが、これからは心を入れ替え、西側陣営のために命を懸けて働きます。特にアメリカにはお世話になりました。これからはお役に立ちます。何なりとお申し付けください」
額に“消毒済み”ってシールを貼っときたいくらいの変貌ぶりだ。今や日本は“戦後教育の申し子”、もはやかつての狂暴な虎だった頃の面影はない。
そして、その「アメリカのお役に立つ」を実行すべく、その日の夜、吉田茂だけがこっそり場所を替え、「日米安全保障条約(安保条約)」に調印した。