そして、1965年6月15日、コロンビア30丁目スタジオのAスタで、ボブ・ディランの“ライク・ア・ローリング・ストーン”の収録を上述のとおり翌日に持ち越すことにした後、そこに残っていたマイク・ブルームフィールドらに残業を依頼するのです。

 その場には、S&Gはいませんでした。しかし、強力なスタジオミュージシャンは、S&Gが1年数ヶ月前に録音した生ギターバージョンの“サウンド・オブ・サイレンス”を聴きながら、ドラム、ベース、エレキ・ギター、オルガンをオーバーダビング(※最初に録音した音声などに対して、再度同じ音声などを重ね録りする多重録音のこと)します。何度からのリハーサルを経て、わずか1時間ほどで新生“サウンド・オブ・サイレンス”が完成します。

 この時の録音は、片手間でやったアルバイト的なものでした。誰一人として、この半年後に、新生“サウンド・オブ・サイレンス”(写真右)が全米1位になるとは夢想だにしなかったでしょう。しかし、優れた音楽には必ず道が開けるのです。

唯一無二のピアニストの代表録音

◆J.S.バッハ・平均律クラヴィーア曲集

 ボブ・ディランがフォークからフォークロック、更にはロックへと脱皮して「追憶のハイウェー61」を録音している頃、実は、同じコロンビア30丁目スタジオでは、クラシックピアノの革命児グレン・グールドが、J.S.バッハの平均率クラヴィーア曲集の全曲録音に取り組んでいました。

 グールドは、この全曲集(写真左)を約10年かけて完成させましたが、最初は1962年6月、最後は71年1月の録音でした。

 1965年は2、3、4、6、8月と何度もスタジオに入り、“前奏曲とフーガ第17番から第24番”までを録音しています。特に、ディランが““ライク・ア・ローリング・ストーン”を録音する2週間前の6月1日には“前奏曲とフーガ第23番と24番”を吹き込んでいます。

 グールドの演奏を聴けば、一つ一つの音が完全に自立して存在しつつ、グールドの強固な意志により統合された大きな音楽を生み出しています。まるで10本の指が一人一人の演奏者で、グールドが指揮者のようです。ペダルを使わないノン・レガートを旨としつつ、色彩感覚豊かな音色を紡ぐ唯一無二のピアニストの代表録音です。