稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
今回、『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)発刊を記念し、1976年に起業時の経験を語った貴重な講演録を、全5回に分けて掲載する。第1回は、京セラ起業直後に稲盛氏が決意した「経営者の覚悟」をご紹介する。

出資者が教えてくれた
「人の心」の大切さ

 私は鹿児島大学工学部の応用化学科を出ています。京都で就職するまでは鹿児島弁しか話せず、大学の教授から、「君は京都に就職するのに、鹿児島弁しか話せないのか。それは困ったことだな」と言われたこともあります。

 就職した会社では、研究部門に配属されました。これからはエレクトロニクスの時代が来るので、エレクトロニクスに使われるような材料開発をしようということで、研究を始めました。

1959年、京セラ創業時のメンバー。

 1959年には、もののはずみで会社をつくることになりました。もちろん、自分で事業を起こせると思ってつくったのではありません。前の会社で研究をしているときに、技術的なことについて上司と意見が合わず、口論となりました。そのときに、九州男児の欠点だと思うのですが、「それならやめます」と言ってしまい、会社をやめることになりました。

 その後、外国にでも行こうと思っていたのですが、周りの人々が「せっかく研究をしてきたのだから、その成果を生かして会社を起こしたらどうだ」と勧めてくれたので、今の会社をつくることになりました。

 しかし、私は会社を起こすだけのお金をもっていません。すると、京都でお目にかかった方が、融資をしてくださるとともに、何よりも大事なのは「人の心」だということを教えてくださいました。

 最初にその方にお会いしたとき、私は、「今まで行ってきた研究を生かして、何か電子工業に使えるような新しい材料をつくっていこうと思っています」ということをお話ししました。

 すると、その方は

「あなたはまだ若いけれども、すばらしい思想をもっている。非常に真面目な人間でもある。私が援助してあげましょう。私が300万円を出します。ただし、それであなたを雇うのではありません。あなたに惚れたから300万円を出してあげるのであって、あなたが自分でこの会社を動かしていくのです。

 どのような状況にあっても、お金に使われるようではいけません。あなたと一緒に仕事をしようという仲間がいるのなら、お金も何もない中でも、みんなで力を合わせていく、すばらしい心根をもった集団をつくるのです。そのようなものは、何ものにも代えがたいものです。それを頼りにして経営をしていきなさい」

と、教えてくださったのです。

 私は、7人の仲間と、中学校を出たばかりの20人の社員を雇い、28人で会社を始めました。私どもには他に何もありませんでしたので、私は教えていただいたとおり、人の心を経営のベースにしようと思いました。