社員の家族はいじめられ
赤字はどんどん累積した

 それに加えて、アメリカでは個人主義が非常に発達していますから、企業に対する彼らの忠誠心は、当然ながら強くはありません。

稲盛和夫(いなもり・かずお)
1932年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。59年、京都セラミック株式会社(現京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長。84年に第二電電(現KDDI)を設立、会長に就任。2001年より最高顧問。10年に日本航空会長に就任し、代表取締役会長、名誉会長を経て、15年より名誉顧問。1984年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった人々を顕彰している。また、若手経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注ぐ。主な著書に『生き方』(サンマーク出版)、『アメーバ経営』(日本経済新聞出版社)、『働き方』(三笠書房)、『燃える闘魂』(毎日新聞社)などがある。
『稲盛和夫オフィシャルサイト』

 さすがに「自分だけがよければいい。会社はどうなってもいい」と考える人がすべて、というほどではありませんが、会社をうまくまとめるのは難しく、苦労に苦労を重ねました。その上に、毎月赤字が積もっていきました。「もう今月でやめようか。それとも来月まで続けようか」と、何度も悩みました。

 しかもアメリカに赴任した社員の家族は、現地では少数派でいじめられていました。家族も連れての赴任でしたが、子どもや奥さんは英語が話せません。日本人学校がありませんので、子どもは学校に行くだけでもたいへんなようでした。奥さんも買い物に行くことすら苦労されていたようでした。

 家族に大変な苦労をかけている上に、自分たちの経営している会社は毎月赤字を計上しています。彼らは「社長に経営を任されていながら、膨大な赤字を背負い込んでいるのでは申し訳ない」という思いでいっぱいだったのでしょう。会議の後に一緒に夕食を食べていると、彼らは涙を流しながら、思いのたけを話してくれました。

 会議や打ち合わせをして、一緒に工場に入り、新しい指示を与えて日本に帰るときも、辛い気持ちに耐える彼らの目には涙があふれていました。「このまま飛行機に乗って帰国してはいけないのではないか」と思うほどでした。私は「そこまで辛い目に遭わせて社員を苦しめるくらいなら、いっそこの工場を手放してしまおうか」とすら思いました。

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