――つまり、9条を字義通りに、素直に読めば自衛隊は違憲だが、無理やりな憲法解釈が行われた。しかしそのことに一定の国民の合意が得られるようになったので、憲法解釈の変更と自衛隊の存在が認められた、と。

 その通りです。

――今回の集団的自衛権と憲法をめぐる議論の一つのポイントは、“もともと無理やりな解釈の上に成り立っているものなのだから、また多少解釈が変わっても問題ではない”と考えるか、“もともと無理やりな解釈なのに、これ以上踏み出すのは許されない”と考えるか、ということではないでしょうか。

 そうですね。それを私は「動態的な発展」と捉えています。“綱引き”というイメージですね。0から1になるのに長い時間をかけて来たのだから、1から2に行くのも、良い意味での綱引きが続く中で、丁寧な仕方でコンセンサスを作っていかなければならない、という立場です。

 9条の解釈では、国民の意識というものが非常に重要です。10年、20年という時間をかけて、解釈が国会で繰り返し答弁され、それを受けて何度も選挙をし、人々が「これでいい」と思うようになれば、形になるというものです。一度の政府の決断や、一度の選挙で一気に変わるものではありません。

 安全保障の在り方についても、「核武装して自力で防衛できるようにすべきだ」と考える人から、「完全な非武装中立がいい」という人までいる中で、今まで国民の多数派は「日米安保条約の下で軽武装する」ということを選んできたわけです。それは大局的に見て、それなりに賢明な選択であったと思います。

 ですからこれからも、賢明な選択とはどういうことなのかは、国民に委ねざるを得ないと思います。

憲法解釈の変更は許される
ただし“理の通った説明”が必要

――違憲論のもう一つの立場が、“長年の憲法解釈を破ったので違憲だ”というものですが、国民の中にも“集団的自衛権の行使容認自体には必ずしも反対ではないが、今回のようなやり方は許せない。行使を認めるなら正攻法で憲法を改正すべき”と考える人は少なくないと思います。

 実はそこは微妙な問題だと思います。私は、解釈変更は“望ましくなかったが、全否定まではできない”という立場ですね。