今年、岩手県宮古市の漁港ではサンマ漁が不振だった。例年は8月末から9月がサンマ漁のピークであるにもかかわらず、今年9月の宮古港では合計11日間にわたり、サンマの水揚げがなかった。「シーズンにもかかわらず1~2回しか水揚げがなかった週もある」と、地元水産業者は狼狽する。
サンマの小型化も目立った。この時期、宮古市は全国の個人客に向けた「さんまふるさと便」などサンマの通信販売に力を入れるが、今年は150グラム超という規定の大きさのサンマがなかなか揃わず、9月初旬に早々と企画を打ち切った。
水産業者からすれば、商売上がったりだ。地元市民も「小ぶりのサンマは刺身にしても焼いても美味しくない」とがっかりするように、宮古では誰もがこのサンマ不漁に不安の目を向けている。そして異口同音に「公海で中国などの大型船が奪い尽くしている」と不満を露わにするのだった。
“爆食”、“爆買い”に続いて、今度は“爆漁”だ。公海上で貪るようにしてサンマを奪い尽くしている様子は想像に難くない。日本のメディアも、今年はサンマ漁が始まる夏を前後して、大型化する台湾や中国の漁船の脅威について警鐘を鳴らしていた。
中国人がサンマを
食べ始めたのはごく最近
そもそも中国にサンマを食べる文化があるのだろうか。サンマを“爆漁”するほど、中国には市場があるのだろうか。
北京、上海など沿海部のいくつかの都市では過去十数年にわたり、サンマ市場が徐々に形成されてきた。和食を扱う飲食店でサンマを塩焼きにしたものを出すようになったのは、2000年を前後してのことだ。その後、現地の日本人居住者を相手にした日本食材スーパーが定番商品としてサンマを扱い、限定的であるにせよ“中国の食卓”にサンマが上るようになった。
2000年中盤になると、サンマは上海の高級百貨店の地下食品売り場に陳列されるようになる。当初、サンマは現地在住の日本人に向けた特殊な水産物食材だったが、いわゆる“デパ地下”での販売を経由して、中国人富裕層にもその存在が知られるようになった。