「今、国会前で安倍政権に抗議の声をあげている人たちの数は日々増えています。新聞・テレビは報道しようとしませんが、インターネットの時代です。フェイスブックやツイッターでの拡散力はすさまじく、次から次へと伝わっていきます。
そして、SEALDsという大学生たちが立ち上がりました。今までの抗議にない運動のスタイルで、新鮮で感動します。自分のことを自分の言葉でスピーチします。
本気の言葉はやはり聴く人に響きます。ずっと見てきて感じたのですが、彼らの本気の抵抗には、菊次郎さんの本気の抵抗が受け継がれてると思うのです。菊次郎さんのこれまでの抵抗は無駄ではなかったのです。菊次郎さんの反骨の種は、これからもずっと受け継がれていくと思います」
菊次郎さんの目には、涙がにじんでいました。
「若い人たちに、何か言うことがありますか」と聞くと、
「僕はこんなになっちゃったからもうそこには行けないけれど、みんなにありがとうって伝えてね。よろしくって」とおっしゃっいました。
お見舞いから帰ってきた日、国会前では深夜2時半をすぎても、雨の中、デモが続けているSEALDsとたくさんの人がいることを知って、私は菊次郎さんのエールを伝えなくてはと思い、深夜の雨の中、温かい飲み物を差し入れに持っていきました。
流れに乗っていつの間にかスピーチ台に乗って、みなさんに話しました。
菊次郎さんのお見舞いに行ったこと、みんなががんばっていることを伝えたこと、菊次郎さんが涙をにじませて、みんなに感謝と激励の言葉をくださったことを伝えました。
その場にいた全員に、菊次郎さんの最後の想いが伝わったと思います。
9月23日の代々木の安保法制反対抗議集会で、私は司会でした。
菊次郎さんの容態が悪化して、点滴と酸素吸入が入っていると聞いていましたから、菊次郎さんのお世話をしてくださっている森田さんに電話でお願いしました。
「明日の集会には3万人もの人が集まります。その人たちに何か伝えたいことがありますか……と菊次郎さんに聞いてください」と。
もう菊次郎さん、想いはあっても言葉にはならず、ただ、拍手をしてくださったそうです。
23日の集会でそのことをみなさんに伝えました。
そして翌日、9月24日に亡くなったのです。
広瀬 福島菊次郎さんの魂は、SEALDsをはじめとする若い世代に受け継がれていくでしょう。
木内 そうですね。彼らは超・優秀だけれども、普通の大学生。自分の言葉で自分のことを、なぜ抵抗するのか、何に抗議するのかをしゃべる。だから、力がありますよね。
彼らはものすごく先を見ています。代々木公園の集会で、奥田愛基さんはこう言いました。
「安保法制が通っちゃった日、朝5時までずっとデモしていました。なぜかと言うと、終電を逃しちゃったからです。電車がないから、タクシーでは帰れないから、始発が出るまでコールを続けた。でも夜があけたら、まるで新年を迎えたようにさわやかだった」って。疲労感もないし、挫折感もないって。
ここに新しい希望がある、そう思いました。
その後、奥田愛基さん、本間信和さん、牛田悦正さん……私がつながりを持てた3人には、福島菊次郎さん最後の写真集『証言と遺言』(DAYS JAPAN刊)を送りました。
こうやってこれからも本当のことはつながっていくのだと思います。
本気の人から本気の人へと、本気の種が。
そう、つなげていかなければ……。私たちのこの国のために。この国のこれからの人たちのために……。
(おわり)