しかしながら、松野代表側の正論も、見方を変えれば受け容れられない気持ちになる。そもそも、維新の党が橋下徹市長のカリスマによって成り立っている政党であることは周知の事実であり、残念ながら橋下徹市長が離党した時点で、すでに勝負の命運は決まっているようにも思える。

 様々な議員の主張を眺め、一連のケンカを俯瞰した上で筆者の私見を述べれば、「解釈の問題なので一概にどちらが正しいとは言えない」ということだ。「刑事告訴だ!」と双方が法律論を振りかざすなら、それは法廷で裁判官に判決を求めるしかない問題であり、今の段階では双方に言い分がある。言い換えれば、どちらも「正論」であり、どちらの主張にもそれなりの理屈が付けられている。すなわち、正論はつくろうと思えばいくらでもつくれる、ということでもある。

 なぜ、正論なのに容易に伝わらないのか。理屈を付けるほどに泥沼化し、ますます相手に届かなくなる理由は、そもそも立場が変われば正論が正論でなくなるということ以外に、3つの理由があると筆者は考えている。

 第一に「利害衝突」である。今回のケースで言えば、「政党交付金の奪い合い」という利害の衝突があった(ただし、途中で税金の奪い合いに見えてしまうことに気づいた橋下徹市長は、「政党交付金を国庫に返済する」との主張を展開した)。

 第二に「感情的対立」である。お互いに不信感を持った状態では、相手の意見に聞く耳を持たない。どうやって相手を言い負かしてやろうか、という点ばかりに注力してしまう。

 そして第三として、「人は自分が思っているほど相手の話を聞かない」ということだ。相手に何かを伝えようとするときは、そもそも「伝わらない」ことを前提に話した方がよい。そのことを認識すべきだ。

 ビジネスの世界には、「80対20の法則」(エイティ・トゥウェンティ)という言葉がある。人を説得するのには100%の正しさは必要なく、80%の人を納得させるには20%程度の正しさで十分、という意味である。筆者自身、マッキンゼー時代には多くの経営陣に向けて提案書や報告書を書いたが、相手に刺さったプレゼンのほとんどは、中身の正当性を認識させたというよりも、全体のストーリーの伝え方がうまくいったことにあったように思う。

正論よりも戦っている雰囲気を出す
政治で有利になる「伝え方」とは?

 ビジネスの世界より、政治の世界の方がさらに求められる正論の率は低くなる。企業と株主の関係であれば、株主は経営の素人ではあるものの、その企業の経営に自分の資産が直接左右されるので、経営陣の話や株価の動きに注目する人が多いだろう。しかし、政治における有権者は政治の世界に直接的な利害関係がないと思っている人が多いので、あまり中身を理解しようとしない。

 有権者が注目せず、話もあまり聞かないので、政治家も「有権者など適当にあしらっていればよい」という考えになる。「政策など語らず、駅前で自分の名前を連呼していればいい」という短絡的な考えに陥っていく。適当に政敵をラベリングし、派手に批判していれば議員であり続けられる。これが「政治屋」が世にはばかる原因である。