親にも精神修養が必要です
自分のことを自分でするということは、身のまわりの着替えや食器のあと片づけなどだけでなく、自分の感情も自分で始末をつけなければならないのです。
どれほどのくやしさでも、母親が「よしよし」となぐさめてやるのは、くやしさ、悲しい思いを早く忘れさせる助けにしかならないのです。
くどくどと、グチっぽく言う息子の意外な気弱さを見出したり、正義感や潔癖感などを知ることができます。
また、わがままな心情を抑えていくためにも、この地団駄(じだんだ)踏んでのくやしさや、わめき立てに、親が同調して興奮してはならないのです。
とはいえ、あまりにもうるさいので、イライラします。いつまでも泣きやまない息子、不満をぶつけるわが子が憎くさえ見えます。
ここは、親の精神修養がいる場面です。
巻き込まれず、冷静に処理するよう自分に言い聞かせながらも、大泣きのペースに乗りかかりがちです。
わが身の欠点が、大きくわが子の性格に関連してくる糸口と思い、冷静に聞いてやるだけにとどめ、「〇〇ちゃん、いけない子だね」と判定を下さず、「よく辛抱できたね」と言ってなぐさめの言葉にうなずくまで、つき合わなくてはなりませんよ。