あと、いまだに原発周辺地域のイメージが福島全体と思われている可能性はある。さらにその原発周辺地域ですら、現在の情報は知られていない。たとえば、原発の立地自治体である大熊町には、今東京電力の750戸の社宅が建設中で、作業者向けの給食センターもできてトラクターが元気に田畑を耕している状態です。

 いまもたまに「原発がある町には何万年と人が住めなくなってしまった」とか情感たっぷりで書いた文を目にしますが、「いやいや、事故をおこした1-4号機がある自治体にはもう人住むんですが」っていう話。そういう基本的な現状認識を知らないままモノが語られるケースが多すぎるんです。

「『不幸なフクシマ』のままでいてほしい」人が
たくさんいる

竜田 今の現場からの情報発信が足りていないんじゃないでしょうか。結局ぼくが『いちえふ』を描いたあとに続く原発ルポマンガは現時点までに出てないし。事故直後はルポライターみたいな人が入って、結構デマっぽい記事も出ましたが。伝える側も、新しい情報を仕入れようとしていないですよね。

開沼 これは伝える側の問題だけではなく、視聴者や読者もわかりやすいセンセーショナルな非日常を求めるんでしょうね。被災地復興に限らないですけど、課題も希望も日常・正常の中に隠れているものなのに。現場感覚が欠けています。「『不幸なフクシマ』のままでいてほしい」人たちがたくさんいますよね。

 まあ、こういう無意識のバイアスに基づくイメージの再生産に依存するメディア・言論の薄っぺらい構造であったり「マイノリティ憑依」「ヘッドライン寄生」は他の分野でも散々やられてきたことですが。「きれいな目をした子供たちがいるアフリカ」みたいな。「きれな目」をしてないと急に怒り出す。現場からしたら「知らねえよ、あんたの意のままに動く玩具じゃないんだよ」っていう話です。まあそうしたメッセージの出し方が現地にメリットがあるならいいのですが、逆に迷惑をかけているとなると放ってはおけません。

竜田 ただ、現場からの発信、といっても難しい面はあるんですよね。さっきの大熊町の話も、本来なら住んでいる人が伝えるべきなんでしょうが、現在人が住んでないですからね。給食センターのおばちゃんくらいしかいない。かといって東電が発信したところで「やつらの言うことだから信用できない」という受取り方をされてしまう。第三者が実際のところを伝えていくしかない。そこに関心のあるメディアが行って正しく伝えていただくしかないのかなと、思います。

>>12月26日(土)公開予定の第2回に続きます。