ジャズに対する偏見が強かった時代に、グッドマンは素晴らしい音楽はそれが如何なるジャンルであれ素晴らしいのだ、という公理を証明したのです。

 そして実現したのが、カーネギーホールでの公演です。

 未だ十分な録音技術が確立していない時代ではありましたが、その夜の演奏はグッドマンの挨拶も含めて完全に残っていました。最新のデジタル技術で鮮やかに蘇ったのが「ベニー・グッドマン/ライブ・アット・カーネギー・ホール1938年(完全版)」です(写真)。

 ジャズの歴史、いや米国の文化史に残る音盤です。録音から78年を経た今でも、聴けば、ジャズの革新エネルギーと奥深さを実感します。聴衆の反応は熱狂的です。冬のニューヨークの厳しい寒さが心地良く感じられたに違いありません。

 最後にトリビア。グッドマンに関心を持たれた方にお勧めしたいものが二つあります。まず、映画「ベニー・グッドマン物語」です。1955年作品で古くはありますが幼少期からカーネギーホール公演までの伝記を描いています。もう一つがモーツァルト「クラリネット協奏曲」です(写真)。名匠シャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団を従えてグッドマンの演奏家としての力量を証明しています。

21世紀最先端のジャズ

 かつては尖っていた企業やアーティストが、功成り名を遂げると、徐々に守りに入って丸くなっていく例は少なくありません。音楽も同じです。

 革新的なスタイルが、いつしか世の主流になると、そこにはマンネリズムに陥る危険があるのです。

 従って、音楽家ならば誰もが世の常識を覆したいと欲望するのです。確立された仕組みを破壊することから強烈な快感が得られることを知っているからです。しかし、同時に過激なアヴァンギャルドには美しい罠が潜んでいます。何故ならば、聴衆は常に我侭です。理解できない音楽には見向きもしなくなります。するとアヴァンギャルドは単なる一人相撲になりかねません。ですが、聴衆に媚びた演奏には刺激も感動もありません。ジャズはリスクを取ることを慫慂する寛容で厳しい音楽です。それこそが音楽的進化の源泉です。

 そこで、ザ・バッド・プラスです。