即ち、産業革命により、経済はアダム・スミスが考えていたものとはだいぶ違った姿に進化してしまったのです。そして、大資本による中央集権的な市場は、もちろん効率的であることは間違いないものの、多様性の欠如や個人の幸福などを考えると、決してベストとは言えないものでした。

 しかし、『国富論』が書かれてから200年という時間を経て、ようやくその市場が変わり始めました。グーグルやアマゾンなどに代表されるネット企業が様々な市場で効率的なプラットフォームを構築したことにより、それを利用すれば個人や零細企業であっても大企業に伍するビジネスを展開できるようになったからです。Airbnbを活用すれば個人の空き部屋が大資本のホテルと同じサービスを提供できるのが、その典型例でしょう。

 デジタル技術の進歩、特に今のたくさんの流行り言葉に代表される第4次産業革命により、経済はアダム・スミスが想定していた世界に戻りつつあると考えることができるのです。ついでに言えば、このデジタル化に加えて、グローバル化というもう一つの構造変化もそれを後押ししています。

 従って、IoTは製造業、フィンテックは金融、シェアリング・エコノミーは宿やクルマ、と流行り言葉を作ってジャンルを限定して議論するのはおかしいのです。デジタル技術はあらゆる産業に浸透しつつあるのですから、あらゆる分野であらゆる個人・零細企業が大企業に伍してビジネスを展開できるようになる、という点こそもっとも重要なのです。

民泊、AI……逆行する政府の対応

 そのように考えると、これらの流行り言葉への政府の対応もおかしいと言わざるを得ません。役所と仲のいい大企業を集めた研究会、予算措置による実験プロジェクトと、旧態依然とした振興策や産業政策がメインだからです。

 デジタル化の本質があらゆる個人・零細企業に新規ビジネスのチャンスを与えるものであることを考えると、政府がまずやるべきはそのポテンシャルを妨げる障壁の除去であり、それは規制改革に他ならないのではないでしょうか。