「田原は核心を突かない安全パイだ」
ほぼひとまわり上の田原とのつきあいは、私が20代、田原が30代のころからで、40年余りになる。出会った時、田原はテレビ東京のディレクターで、私は『VISION』という雑誌の編集者だった。途中、何度かケンカ別れをしての40余年だが、『俳句界』の2015年1月号の対談で、田原はこんな打ち明け話をしてくれた。
「当時、僕は不倫をしてまして、実は佐高さんからもらう原稿料が、その不倫用で借りた部屋代になっていたんですよ」
1970年代の話だが、私は政財界の黒幕的人物を探し出してきて、田原に「斬り込みインタビュー」をしてもらった。対談料が「部屋代ちょうど」だったらしい。
「田原さんは、本当は知っているけど、知らないことを武器にして質問しますよね」
そのころを振り返って私がこう尋ねると、「今はそうだけど、当時は本当に知らなかった。でも、その方がプロは結構面白がって喋ってくれるんですよね」と田原は応じた。
そんな関係もあって田原は私が1977年に初めて出した本『ビジネス・エリートの意識革命』(東京布井出版、のちに『企業原論』と改題して現代教養文庫)に次のような推薦文を寄せてくれた。
「『仮面(マスク)』と『素顔』という表現を佐高はしている。それでは、どれが佐高信の『仮面(マスク)』で、どの顔が素顔なのか?
はじめて、佐高信に会ったときのことを思い出す。悩める、いささか年とった青年だった。その後、大勢の“悩める青年たち”がわたしのところに来た。その殆どは、もはや、悩まない。それこそ、『企業人のマスク』をつけている。佐高信の顔は、あいかわらずである。おさまらず、割り切らず、いかにもひよわそうに、しかし、したたかに『企業国家』を撃ちつづけている。
その佐高信が、インコーナー高め、ぎりぎりの鋭いシュートボールを投げた。バッターの、いや、つい『企業人のマスク』をつけそうになっている人間たちの心臓のあたりを鋭く抉(えぐ)るシュートの重い球である」