広島県府中町で、中学3年の男子生徒が、万引きの非行歴があるという誤った情報が記載された資料に基づいて進路指導を受けた後、自殺した。学校側は調査報告書において、誤った進路指導があったことなどを認め、生徒の自殺に関し「学校としての責任がある」と結論づけた。
自殺した生徒が通っていた中学校の、あまりにも杜撰な資料管理、間違った生徒指導に対しては、全国に強い憤りが広がっている。また、学校での行き過ぎた指導による「指導死」が全国で相次いでいる問題にも注目が集まり始めている。
しかし本稿では、中学校の生徒指導に対する批判そのものからは、一線を画したい。それ以上に本質的に問題なことがあると考えるからだ。それは、生徒が高校を受験できるか否かを、中学校が事実上決定してきたことである。
中学校は、生徒の求めに応じて、希望する高校への推薦状・内申書を無条件に提出すべきなのだ。その代わり、推薦状・内申書には高校側が求める生徒の生活態度・成績について、嘘偽りなくすべてを記載する。生徒に非行歴があれば、隠さずに書けばいいのである。
中学校が、曖昧な基準を基に「いい生徒」と「悪い生徒」に分けてしまうことは問題がある。学校と生徒の間に、ある種の「権力関係」を生じさせてしまうからである。学校が「権力」を持つことで、学校の強い指導の押しつけを生徒が拒むことは難しくなる。一方で学校が持つ「権力」を利用してやろうと考える、「モンスターペアレンツ」が出現することにもなるのだ。
生徒の入学の可否を審査するのは、あくまで高校だ。中学校は、客観的な指標に基づいて、オープンに生徒を評価するだけでいい。生徒は、その評価を受け入れた上で、自由にさまざまな進路の可能性を検討する。新たなルールを確立すべき時だと考える。
推薦状社会・欧米では、
「推薦される人の本当の姿」を描写する
欧米は「推薦状社会」と呼ばれている。進学も就職も「推薦状」に基づいて審査が行われている。私が学んだ英国の大学でも、推薦状は入試の重要な部分を占めていた。日本との大きな違いは、推薦状では「推薦される人の本当の姿」を描写することだ。場合によっては、「私はこの学生を推薦したくない」ということを、具体的な理由とともに、遠慮なくはっきり書くこともあるのだ。