ダイヤモンド社刊
1785円(税込)

「今後とも、物理学では、専門化が王道であり続けるだろう。しかし他の多くの分野では、専門化は、今後ますます、知識を習得するうえで障害となっていく」(『新しい現実』)

 学問の世界では、書かれたもの、すなわち論文を知識と定義する。それどころか、その論文の書き方までをとやかくいう。そのくせ、まるで理解不能な文章があっても平気である。

 ドラッカーは、そのようなものは知識ではないし、知識とはいかなるかかわりもないと怒る。それらはデータにすぎない。

 知識とは、行動の基盤となるべきものである。人や組織をして、なんらかの成果をもたらす行動を可能にするものである。なにかを、あるいは誰かを、変えるべきものである。

 そもそも、理解されることが学識ある者の責務である、という昔からの原則が忘れられてしまった。行動の基盤であるということならば、広く理解されることなくして、知識とは言えない。

 ドラッカーは、問題は今日学界の専門家たちの学識が、急速に知識ではなくなっていることにあるという。それらのものは、データにすぎず、せいぜいが専門知識にすぎない。世の中を変える力を失ってしまっている。

「過去200年間にわたって知識を生み出してきた学問の体系と方法が、少なくとも自然科学以外の分野では非生産的となっている。学際的な研究の急速な進展が、このことを示している」(『新しい現実』)