8月15日、65回目の終戦記念日を迎えました。毎年この時期、テレビ各局では、第二次世界大戦にまつわる特集番組が組まれます。最近はバラエティ番組が多くなり、テレビを見る機会が減った私ですが、「歴史をあらためて知る」という意味で、家族でこうした特集番組を見ました。
特に今年の夏は、家族で沖縄に旅行し、ひめゆり平和祈念資料館を訪れた直後ということもあり、娘たちも終戦の年に沖縄で起こった悲惨な出来事をより実感できたようでした。私自身も、ひめゆり平和祈念資料館に展示されたパネルや遺品、そして犠牲になった方の遺影などから、同じような年頃の娘を持つ親として、あらためて戦争の残虐さを感じました。
資料館の中で特に印象に残ったのは、生存者の証言フィルムでした。動員されたひめゆり学徒と同じ年頃の私の娘たちや、見学に訪れていた美ら島沖縄総体に出場する高校生たちが、この証言フィルムにじっと見入っていたのがとても印象的でした。生存者が、自らが体験した悲惨な出来事を振り返り、語ることは、われわれには想像できないほど辛いことだと思います。
事実、ひめゆり学徒の生存者は、戦場から生き残ったものの、亡き学友への痛恨の思いから戦後長い間戦争体験を語ることはなかったといいます。しかし、亡き学友の生きた証を残そうとする思いや、戦争の悲惨さを語り継ぎ、平和の尊さを後世に伝えようとする思いから、証言フィルムを残すことに応じたそうです。
そしていま、この証言フィルムは、ここを訪れるひめゆり学徒と同世代の女子学生に強い印象を与えているのです。先人が自らの体験を、次代を担う若者たちに「語り継ぐ」ということの重要性をあらためて感じさせられました。
日本経済の成功体験を持たない
いまどきの若者世代
私はいま、立教大学大学院での講義を担当するほか、非常勤講師として多摩大学経営情報学部で学部学生向けのゼミナールを担当しています。「21世紀型企業の経営戦略~政策と金融の視点から~」と銘打ったこのゼミでは、ビジネス的思考で物事を考える習慣や能力を身につけてもらうことを目的に、さまざまな社会問題(環境問題、雇用問題、地域格差問題、貧困問題など)の時事ニュースを材料に、ビジネス、政策、金融の視点を交え、学生と対話をしながらゼミを進めています。
もちろん、大学教育の中で必要とされる一般常識や論理などの解説も行ないますが、ゼミということもあり、私自身の銀行員、社会人としての経験などが強く反映されていると思います。ある意味、私自身の経験を「語り継ぐ」ゼミと言えるかもしれません。一方、私自身も、多くのことを学生から学ばせてもらっています。
私のゼミには、2年生から4年生まで、10名ほどの学生が所属しています。年齢で言えば19歳から22歳で、東西冷戦が終結し、バブル経済が崩壊、そして今日まで続く失われた20年の起点となる1990年前後に生まれた学生です。つまり、いまの学生が物心ついた時には、もはやソビエト連邦はなく、バブル経済の余韻もなかったのです。それどころか、失われた20年の中で育ったため、かつて日本が経済大国であったという、「日本経済の成功体験」というものを持っていない世代なのです。
この点において、右肩上がりの経済成長の中で育ってきたわれわれ「バブル世代」とは大きな違いがあります。この「ゆとり世代」とも称されるいまの大学生と、われわれ「バブル世代」との違いですが、私自身が彼らと話をしていて感じることは、「成功体験の有無」と、「世の中の雰囲気の捉え方」に集約されるように思います。